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August 26, 2005
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テーマ:たわごと(26609)
自由について考えてみる。
そもそも、自由とはすばらしいものに思われがちだが、それはいかがなものか。
問いから言うと、
「人を殺す自由は認められるのか?」
「物を盗む自由は認められるのか?」
「暴行を加える自由は認められるのか?」
といったことが出てくる。
答えはすべて「認められない」なのだが。


日本は自由主義の恩恵を戦後60年受けてきた。
さらにさかのぼると明治時代に福沢諭吉がlibertyにあたる日本語として「自由」という日本語を創作したといわれているけど。
ともかく、日本における「自由」の歴史が浅いために、日本人は今でも自由の意味がわかっていない。
私も例外じゃないけど。


自由を尊重するあまりに、学級崩壊という問題が発生してしまった。
すなわち、「授業中に自分勝手にする自由」を認めてしまったのである。
少年犯罪にしてもそう。
「人を殺す自由」だったり、「盗んでもいい自由」だったり、「他者を傷つけてもいい自由」の名の元に、彼らは犯罪に手を染める。
「自由」という言葉にすばらしい、甘美な響きがあるために、罪悪感を持たない。
彼らを諭さねばならない親や教師も、たっぷりと自由の恩恵にとっぷりと浸かってきたので、それらの「悪の自由」は認められないのだと明言できない。
「どうして人を殺しちゃいけないの?」という単純かつ恐ろしい問いに答えられない。


「悪の自由」を束縛するべく、道徳がある。
道徳は、その国や民族の歴史が育むものであり、一朝一夕に形成されるものではない。
「自由」の教祖といってもいいアメリカは、歴史が浅いために、その国独自の道徳が身に付かず、代わりに法律で「悪の自由」を束縛している。
さらにアメリカは、政府が率先して「他国の内政に干渉する自由」や「他国を空爆する自由」を平然と行使している。
そんな国には、いくら年月が経とうと道徳なんか身に付きゃしない。
日本には古来から育まれてきた道徳があったが、現在崩壊状態にある。
これはいかんことだ。
道徳が徹底していれば、法律なんぞ要らぬのに。


もともと、自由そのものが「全ての人間が善人である」という大前提がないと存在できない。
前述の「悪の自由」というものも、元々存在しないはずなのだ。
自由という言葉の意味をよく理解していないために、「悪の自由」を認めてしまう。
存在してはいけない自由がある時点で、この世の中は「自由な世の中ではない」。
だから、「自由」という言葉は存在してはいけないんじゃなかろうか、とも思う。
それは極端だから、「自由」の意味をもう一度考え直してはどうだろうか?
「自由」は素晴らしさと同時に残酷さも秘めていることに思考を巡らせてみてはどうだろうか?


※支離滅裂な文章、すまねぇ。





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Last updated  August 26, 2005 05:43:21 PM
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