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石垣市長が慰霊のため尖閣諸島・魚釣島の上陸許可を政府に出した。ここは埼玉県内の個人所有地ですが、総務省は借りているだけであり、何が起きても責任が持てないから許可されないだろう。なんで今頃になって慰霊なのか?
2005年の沖縄近海における台湾漁船の抗議行動や尖閣諸島中国漁船衝突事件のように領有権を主張する台湾・中国側との間で不法操業や不法越境・上陸をともなう国際問題が発生している場所である。尖閣諸島に近づく事は危ないだろうと思う 日本政府の公式見解は尖閣諸島には領有権問題は存在しないとしているが、中国政府や台湾は領有権問題であると主張している。地理的には台湾に非常に近い無人島である。 1951年 サンフランシスコ講和条約によって、沖縄の一部として米国の施政下に置かれた。しかし、1969年大陸棚地下に大量の石油埋蔵量の可能性が報告されると状況が変わった。 1971年6月 沖縄返還協定が結ばれ、尖閣諸島も日本に返還されたが、無人島で有るがゆえに台湾や中国が領有権を主張し始めた。 要請書などによると、45年7月3日、住民約180人を乗せた疎開船2隻が米軍機の機銃掃射を受け、1隻が沈没、もう1隻は魚釣島に漂着した。島には野草などわずかな食料しかなく、餓死者が続出。体を動かせる者たちが板切れで小舟を造り、9人の決死隊を作って石垣島に救助を求め、約50日ぶりに約120人が生還した。 米軍統治下の69年5月、当時の市長や生還者ら約30人が魚釣島に上陸し、現地に慰霊碑を建立して犠牲者を弔った。しかし、その後、慰霊祭は行われていない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年06月11日 00時13分44秒
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