サントリー美術館 記念講演会「祝いの舞」
文芸評論家の三浦雅士さんの講演を聞きに行きました。「舞」の話しから文化~思想~型~言語と話しが展開するとは思わなかったです。「祝」の話しにはどうやって繋がるんだろうかと期待しながら聞いておりました。日本の「舞い」の基本は腰を落として背筋を真っ直ぐ、いわゆる能の歩き方です。時代劇でもお城の廊下の場面とかで、「殿~っ」と急いで走ってても上半身真っ直ぐなままです。この姿勢は「農耕民族」に共通のようです。農耕民族 = 日本・南中国・インド・フィリピン・タイ遊牧民族 = チベット・モンゴル→イタリア→フランス→ロシア農耕民族は田植えをするので、腰を落とした上下の動きが基本姿勢の根源となっています。世阿弥がそれを芸能として発展させました。遊牧系の踊りの特徴は、「つま先」です。宮廷(古い型のまま残受け継いでいる環境)の踊りはつま先踊りです。これが空気のような踊りとなり、バレエとなる。文化から身体の形態ができ、それは言語体系に繋がっていきます。例えば「先走る」とは、日本では急ぐ事はマイナスな行動。それが言葉に現れています。身体のコスモロジー(精神世界)が言語になっているわけです。「舞い」とは型があります。「型」とは教え伝えられ身につけられるものです。=心、精神を伝えられる事なのです。祝の「兄」とは「祝詞」を入れる箱を持つ人。=巫女のこと。口や兄弟の意味ではなかったのです。・魂振(たまふり)/招魂=元気出そうぜ!・魂鎮(たましずめ)/鎮魂=決めたらその役をきちんとやりなさいよ!神=人=憑依的な事(言語によってもたらされた者を演じている)これってなかなか疲れる事!相撲やサッカーを見ていて手に汗握るときは、その人になりきってしまっているからなのです。これが舞踊の根源。服を買うのも同じ。イメージしている違う自分になれる事なのです。舞いによって自分の役割の確認、手段としていたという事です。三浦雅士さんは「身体の零度」にこの内容を書いていらっしゃるようです。とてもおもしろい内容でした。この方から、またお話しが聞ける機会があればいいなぁ、と思いました。