住み慣れた自宅で最期を迎えるために必要な条件とは。
ホスピスで勤務こそしているが、私は24時間往診もするので、ホスピスから16km以内であれば最期は自宅で、と願う患者さんには往診で応えることは可能である。
ただ、医者がいれば在宅看取りがすべての人に叶うわけではない。
大きな病院から、「大腸がん、肺転移の70代の女性です。化学療法を一年ほど続けてきましたが、これ以上行うことは難しく、余命は2、3ヶ月と思われます。ご本人は在宅看取りを希望されています。」という紹介状を持って、その長男夫婦がホスピスの外来にこられた。
聞けば、1ヶ月前に抗がん剤治療を外来で受けたが、3週間前に具合がわるくなり緊急入院したとのこと。
3日前に呼び出され、もう化学療法はできないからホスピスに紹介します、と説明を受けた。その際、ベッドで横になっている母親を病室の外から眺めることはできた。しかし、話をさせて貰うことは出来ないまま、紹介状を貰ってきたとのこと。
このコロナ禍だからそれも致し方ない、余命が2、3ヶ月あるのならホスピスで面会させて貰おう、と思ったとのこと。
長男曰く、本人は前々から家で死にたいとは言っていたが、現実問題として父親と二人暮らしで、自分達は県内ではあるが介護するにも行くだけで1時間はかかるし、他に頼れる家族もいないし、在宅看取りなんて到底無理ですわ、ホスピスで看取ってください、とにべもない。
余命2、3ヶ月あるのならその間に考えましょう、と外来では話して転院の日取りを調整した。
3日後に本人が転院してこられた。
既に痩せが進み足腰が弱っている。
トイレへは介助があれば何とか移動が可能なレベル。胸水もあるので常に酸素吸入を必要としており、しかもトイレのあとは喘鳴が強くなり、酸素も増やす必要がある。
呼吸困難、喘鳴があるのにモルヒネは導入されていない。
提供された食事の1割をようやく食べられる程度。
余命は緩和ケアの指標を用いて、1,2週間と評価しうる状態。
ご本人は、「主治医の先生が、ホスピスの先生に頼めばお家でみてくれるでしょう、と言ってくれたからきた。」と涙ながらに話される。
結局、在宅には戻れることはなく、長男夫婦の希望通り、ホスピスでみとることになった。
一昔前は、診断、治療、看取りの場を考えることが、主治医の働きであった。
進行がんと診断した患者さんが一年以上生きることは少なかった。
しかし、がん治療が進歩して抗腫瘍薬も増え、長期生存が可能になり、がん治療医は沢山の患者さんを診ることになったし、緩和ケア病棟も増えた。
野球の先発、中継ぎ、抑えではないが、一人の患者さんを複数の医者が診る時代になった。
先発する医者は抑えの医者の働きが、抑えの医者には先発の医者の苦労が、互いによく分からないようになってきている。
紹介した医者も、抗がん剤の副作用から脱したら、もう少しは頑張れると予想していたのかもしれない。
だからこそ、がんと診断された時からとは言わないが、がん治療がうまく進まなくなってきた時にホスピスに紹介して貰えれば、看取りの場をともに考えることが出来るのだが。
ただ、今回のように、主治医が思っているほど時間がなかったり、家族の受け入れが難しかったりするケースでは、在宅看取りは難しい。
在宅看取りに到達出来る患者さんにはある程度の条件がある。
同居しており、かつ介護を引き受ける覚悟がある女性家族がいること、がまず必要だ。
患者が男性で、その介護する女性が妻であることが一番多いケースである。
次に患者の男女は問わず、親を看取りたいという娘さんが、同居ないしは実家に泊まり込んでくれるケース。
お嫁さんであることもたまにある。
独居であるが、上手に訪問介護やヘルパー、友人たちを頼って、最後まで家で過ごした方もいるが、その友人はやはり女性であった。
詰まるところ、日本の看取り文化には、女性の力無しには無し得ないことは、少なくとも明らかである。
家で死にたいと願うとき、妻、娘、お嫁さん、女性の友人がいるかいないかは、大事なポイントである。