「何人もの人が 今 僕をうらんでいるだろう
何人もの人が 今 僕を疑っているだろう
何人もの人が 僕を指さし
・・・・・・・・
かげ口を 言い合っているだろう
何人もの人を 僕は うたがっているだろう
何人もの人を 僕は うらむようになるだろう
何人もの人と 争いつづけるだろう
何人もの人と 心きづつけ合うだろう
でも たしかに ボクには信じている 人がいる
確かに ボクを 信じてくれている人もいる
人の心の空しさに 心うばわれないで
信じあえる人と 手をとって生きよう
今さら 何をボクは
人の事を気にしてしまったんだ
ああ もう 今は この耳をふさいでしまおう
ああ もう 今は この口をとざしてしまおう
人の言葉の空しさに 心をうばわれないように」
英五さんの唄には、争い、対立の唄がいくつかあります。
それらの唄は、最終的には、仲直り、平和を求める唄が多いように思いますが、
この『何人もの人達と』
は、合わないものは合わないと割り切るような唄です。
理想を求めすぎるより、割り切らなければならない時もあるのかなあ~って、思う。
全面的平和を求めるのは理想なのかもしれません。
「信じあえる人と 手をとって生きよう」
と同感する部分もあります。
「人の心の空しさ 心うばわれない」
そう思うこともあります。
しかし、今日行くライブのあらい舞さんは、
全面的平和を祈って、祈りの唄を唄います。
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