『世界共和国へ』(2)
●今回は『世界共和国へ』(柄谷行人著)に関連して、私の考える未来社会へのプロセスの要点を改めて紹介することにした。(3) 未来社会へのプロセス国の消滅に関して●資本主義のグローバル化、情報通信(インターネットや衛生放送等の普及)は国家を廃止しないかもしれないが、国境線を低く・薄く・見えないものにしていく。●自由な資本にとって国境などは本来邪魔者にすぎないものである。資本主義のグローバル化は望ましいことではないが、資本の欲得が国境を陰の薄いものにするのである。政治権力は自らを空しくするような国境の消滅に向けた政策を好んで選択することはないが、欧州経済共同体のように資本の自由な活動のためという要請に従ってそうするだけのことである。●このような延長線上で世界が単一国家になったとしても、この世界共和国が私有財産制度、資本主義制度であるならば、人々はいっこうに救われない。つまり機会の不平等があり、拝金主義の社会であり、利潤追求動機の強制競争社会であり、格差社会であることに変わりないからである。●確かに世界が単一国家になれば、国と国との戦争はなくなる。しかし、呼び方が代わって地域間紛争として継続するのかもしれない。それよりも現代の戦争は国対国ではなく、宗派間や文明間での戦闘といった様相を示しているので、単一国家が解決策になる訳ではない。根本的問題●『世界共和国へ』の著者が言う人類が直面している3つの問題(戦争、環境破壊、経済的格差)に対しては、国際連合の権限強化は有効に作用するかもしれないが、問題が解消するとはとても思えない。これらの問題の根本原因は一体何処にあるのかについての世界共通認識の下に、その原因を除去しない限り問題は決して解消しない。●この根本原因は人間の活動動機(人間社会の駆動システム)にある。相続制度に基づく私有財産制、利子貨幣に基づく資本主義経済システムが根本原因である。無垢で生まれた人間を私利私欲の利潤追求動機で駆り立てるシステムにある。●相続制度が廃止されれば、土地境界が無くなる。相続すべき財産がなくなれば、つまるところ国の必要もなくなり、国境も不要になる。利子貨幣が減価貨幣になれば、貨幣を蓄蔵する意味がなくなり、資本主義そのものが消滅する。●全ての土地や資源が共有財産となり、利潤追求動機がなくなり、人々の活動動機が利他的なものになれば、、戦争、環境問題はもとより各種の犯罪、いじめ、虚飾・虚礼なども綺麗さっぱり消えてなくなる筈である。プロセスに関して●このような相続制度や利子貨幣のシステムはどのようなプロセスで廃棄されるのであろうか。私は、著者のB.福祉国家資本主義(社会民主主義)を経由することで、D.リバタリアン社会主義のようなものに辿りつくと考えている。●私有財産制度と資本の自由は不平等や格差を生まずにはおかないので、いずれ新自由主義(ネオリベラりズム)はその非人間性の故に、紆余曲折の挙句の果てに行き詰ることになる。かくして、資本主義経済のままでありつづけようとする限り高税率・高福祉社会に転換せざるをえない。●高税率・高福祉社会では、社会保障が充実する分、貪欲な利潤追求動機は控えめになる。社会保障が充実すれば、精神的余裕から利他的動機で活動することが多くなる。北欧社会は少なくとも米国や日本よりも人間的になっている。●高税率になればなるほど、私有財産獲得に精を出すことの意義も薄らいでくる。これが極限まで進むと相続税の廃止に到達する。●相続できない資産は社会に還元せざるをえなくなる。こうなればしめたもので、全ての人のスタートラインを機会均等にできる。減価貨幣や私の考える配当システムも導入できる。かくして資本主義の立ち入る隙はなくなる。●政治体制は一夜にして変わることもあるかもしれないが、社会の隅々まで浸透した社会や経済の仕組みは容易には変わらない。もどかしい話ではあるが、世界共和国に到達するよりも相続制度や利子貨幣の廃棄の方が遥かなる道程であるに違いない。●目的とするところは国家の廃棄でも資本主義の廃棄でもない。肝心なのは人間行動の動機を利他的なものに変えることである。この動機の転換は、啓蒙主義的な思想教育(人間の頭の中身を理想的なものに改造しようというような方法)によるものではない。望ましい思想などというものはひとつではありようがはずがないからである。●このプロセスは社会の仕組みを利他的なものに改造することを通じて行う必要があるということである。様々な思想があったとしても、利他的な社会の仕組みの下では、人間の思想は自然に利他的なものにしかなりようがない。【参考】未来社会へのプロセスに関して■未来社会への移行過程■お金から見た未来社会へのプロセス●狩猟採集生活を続けている限り、人類は自然と調和した共生関係にあり、しかも人が人を支配するといったことは無かったのかもしれない。これ以降の人類は、人が人を支配し、自然を支配しようとし、金や資本が人を支配するようなことになってしまった。しかしこういった反自然的異常事態は人類の歴史200万年のほんの一瞬に過ぎないのかもしれない。●反自然的なことを続けていれば自然の逆襲を受け、非人間的な社会システム(封建制度、資本主義、従来の社会主義など)は様々な摩擦を生ずるが故にやがて人間的なものに置きかわらずをえないはずである。