原発と温室効果ガス
●昨年『文明崩壊』(ジャレド・ダイアモンド)と『地球の論点』(スチュアート・ブランド)を読んだが、この二人の著者に共通なのは、詳細な情報収集に基づいて実証的に分析していく語り口である。●彼等は二酸化炭素による地球温暖化への警鐘を訴えていること、原子力発電に対しては肯定的な考えの持ち主であることも共通している。●スチュアート・ブランドはかつての反原発論者から賛成論者に転身したこともあって、賛成するに至った論拠を具体的に論述している。このため彼らの主張は説得力を持っているようにみえるかもしれない。文明崩壊ジャレド・ダイアモンド地球の論点スチュアート・ブランド●1月3日の朝日新聞にジャレド・ダイアモンドへのインタビュー記事が載っていたので、簡単に紹介する。「放射能の危険性と同時に、化石燃料の危険性も考えるべきです。二酸化炭素による地球温暖化はすでに、大きな被害をもたらすサイクロンなどの熱帯性低気圧を増やしています。放射性廃棄物は地下深くに封じ込められますが、放出された二酸化炭素は200年間は大気中にとどまるのです」「いま一度、『現実的になろう』と言わせてください。原発事故や地震で、文明が続く可能性がそこなわれることはありませんが、二酸化炭素は現代文明の行く末を左右しかねない問題なのです」●ジャレド・ダイアモンドは、巨石像のイースター島やマヤ文明、ノルウェー領グリーンランドなどの社会の崩壊はいずれも環境破壊が原因であると分析している。「亜熱帯雨林に覆われていたイースター島では燃料や巨石像を運ぶ資材にするため、すべて切り倒されたのです」「古代マヤ文明の人々は、増えた人口を支える燃料や建材を得るため、丘の森林を切り倒しました」●これらの文明が終焉するにいたったのは環境問題を解決できなかった社会システム・人々の考え方に原因があるとのことである。ところで、二酸化炭素による地球温暖化という環境破壊は、これらの環境破壊の比ではなく、全地球規模のものであるが、現代世界で人類が歩んでいる道はこれらの文明崩壊に至ったものと基本的には同じである。●おそらくイースター島、マヤ、グリーンランドの場合も、住民たちは年々破壊されていく自然環境のことを考えれば「このままいったら滅びるかもしれない」と感じていたに違いない。現代の地球温暖化問題も同じである。従って、滅びるのが分かっていながらそうせざるをえないように人間を駆り立てたものは何かということが最も問題の筈である。●人は社会的動物であり、基本的には自らが属する社会の仕組みの中でしか生きられない。社会の外から傍観者的に「社会の仕組みをかえれば生きながらえることができるのだが」という訳にはいかないもののようだ。●今日の大多数の人間にとって、環境破壊がもたらす結末が局所的か全地球的であるかに関心はあっても、当面のさしせまった問題ではない。一番の関心事は今日のパンである。今日のパンが充分確保できるのであれば明日の環境のことも考えても良い…といったところであろうか。●明日のことよりも今日を如何にして生きのびるかに集中せざるをえない資本主義経済システムでは、人は今月の給料、今月の売上、今年の企業利益、今年の国家財政がすべてであり、地球環境が日々破壊されていようが今日・明日どうのこうのというわけではない…ということになる。経済成長は資本主義の至上命令であり、かくして破局に向かって加速度的に歩みを早めることになる。分かっていても、止められないし、止まらない。●1980年に国民投票を踏まえて原発の廃止を決定した北欧の福祉国家スウェーデンも原発存続に逆戻りした。日本の民主党は原発の廃止をめざすと言っているようだが、その舌のねも乾かぬうちに原発の輸出は積極的に行うという。国内で害が出るものでも国外ならば構わないらしい。政策の無矛盾性に対する頓着などまるでない。喉元すぎれば暑さ遠のくで、原発廃止を打ち出したドイツなどもいずれは原発存続に回帰するに違いない。●少々危険な代物かもしれないが、地球温暖化で人類全体の生存が脅かされることに比べたら原子力発電所の事故などは局所的で、被害の程度もしれたものだ、少々騒ぎすぎではないのか…ということになるのであろう。既存のシステムの枠内で真面目に考えるとジャレド・ダイアモンドやスチュアート・ブランドのような結論になるのが落ちである。●ジャレド・ダイアモンドは「最善のシナリオは持続可能な道です。先進国の人々が資源やエネルギーの消費を落とす一方で、途上国の人々は消費水準を上げ、両方をバランスさせることです…」と言うが、世界中で何百万回「持続可能な社会を!」という掛け声が連発されても、その具体的な解決にむけての動きが一向に見られないのは、原因を不問にして結果だけを問題にしているからである。経済先進国の大量生産・大量消費は経済システムの結果なのであって、結果だけを正せといっても意味のないことである。●資本主義経済システムを前提とする限り、システムの命ずるままに成長にみあった電力を確保せざるをえない。二酸化炭素の排出を抑えようとするのであれば化石燃料に替る十分な代替エネルギー源を確保するしかない。太陽光や風力などの自然エネルギーはコストアップになる上に心もとないので、原子力発電に頼る以外に有力な手立てが無いということになる。●従って、「二酸化炭素の排出を削減し原子力にも頼らない世界をつくる」には、現在の資本主義経済システム以外のシステムを考える以外の方策はない。そうでなければ、人間は奴隷のように命令に従っているだけであるにも拘わらず、自分の意志で動いていると思っているその活動動機を変えることはできない。●環境問題に限らず、貧困問題、金融不安、国家の財政破綻、社会福祉財源不足…顕在化するすべての問題の原因になっていて、奈落の底に向かって文明を、人々を駆り立てるのは銀行が発行する利子貨幣をベースとした経済システムである。人間から自由意志を奪っているのはこのマネーシステムである。