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2009.12.23
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 11月25日に発売された、猪瀬直樹 著「ジミーの誕生日」(文藝春秋社)を読んだ。

 12月23日は、平成の御代になってからは天皇誕生日で祝日となり、巷ではイブイブなどと言われている。

 この12月23日という日は、もう一つの意味を持っている。それは昭和23年12月23日に、東京裁判で死刑判決を下された東條英機以下7名が処刑された日でもある。

 この書のプロローグは、12月22日の処刑の準備から23日の執行までを描いて始まる。

 本編は、作家(自分)の元に、ある女性から手紙が来るところから始まる。その女性の祖母の日記が見つかったというのである。祖母は元華族であり、息子は皇太子(今上天皇)と学習院で同級生だった。

 その日記の昭和23年12月7日に、「ジミーの誕生日が心配です」という一文があった。そこから話は昭和20年8月へと遡ってゆく。

 連合国軍が日本占領後、学習院に赴任しいてきたアメリカの女性教師、エリザベス・バイニング女史は、呼びやすいように生徒にアルファベット順にアメリカ風の名前を付けた。皇太子 明仁は、ジミーと呼ばれることになった。

 この本では、昭和20年8月15日から順を追って、日本とアメリカの出来事が事細かに描かれている。我々は終戦のゴタゴタと言えば、映画「日本の一番長い日」や、厚木海軍基地での小園大佐による反乱ぐらいしか知らない。

 8月30日、マッカーサー連合軍最高司令官が厚木基地に降り立ってから、翌9月2日のミズーリ号での降伏文書調印式までのことも詳しく書かれている。

 華族の女性の日記がこの作品の発端になっているが、内容は殆ど日米の軍人や政治家の動向である。所々にその女性が顔を出す。

 A級戦犯が起訴された日が、昭和21年4月29日の昭和天皇の誕生日で、7名が処刑されたのが皇太子の誕生日の昭和23年12月23日となっている。

 今上天皇は11歳の時に日光で終戦を迎えられたが、その後暫くは日本軍の急進派やアメリカ軍による誘拐が懸念され、奥日光で学友や東宮付きの武官らと共に過ごされた。

 11歳という思春期の入り口で、太平洋戦争の終結という大事件に巻き込まれた今上天皇も、戦争の悲惨さを肌で感じられたであろうと思う。

 この本は、推理ものとして読むよりも、あの敗戦時の日本、アメリカ特にマッカーサー、他の連合国とのあらゆる駆け引きを、もう一度検証してみるという事に力点を置いて読む方が良いだろう。

「ジミーの誕生日」 2009.12.23






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Last updated  2009.12.23 21:15:54
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