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カテゴリ:羅刹
兵藤太は夜風に揺れる灯火を見つめながら呟いた。
「道雅の言ったことも、道雅の本心ではございますまい。あの男がそれに気づいていたのかいなかったのかは知りませぬが。当子内親王様が亡くなってこの世からいなくなってしまえば、憎しみと共にその裏にあるものも消えたとあの男は言いましたが、それならばなぜ斉子女王様へあれほど執着する必要がありましょうか。当子内親王様への愛がなくなったのなら、その方への執着も消えるはず。でも、そうではなかった。あの男は結局最期まで、当子様への想いだけは捨て去ることができなかったのでしょう」 「人を喰らうような羅刹(らせつ)であっても、やはりただ一人の女人への想いからだけは逃れることはできなかったと?」 「まことに、恋とは恐ろしいものでございます。一人の男の運命を弄(もてあそ)び、支配し、永劫(えいごう)の檻(おり)の中へ閉じ込めてしまう。どれほど、そこから逃れようともがいても、いっそそれを打ち壊してしまおうとしても、決してその檻から出ることはできない」 兵藤太はふらりと立ち上がると、能季から少し離れた釣殿の欄干(らんかん)に手をついて空を見上げた。 煌々(こうこう)と輝く淡い月光が、兵藤太の端正な横顔を照らしている。 兵藤太は視線を能季の方へ戻すことなく、空を見上げたまま言った。 「若君は、御母上のことを覚えておられまするか」 「まさか。母上は私がまだ赤子の時に亡くなった」 「私は覚えております。共にわが母の胸で甘えていた幼子の頃のことも、一緒に花を摘んだり庭を駆けたりした童の頃のことも。髪を額で振り分けた愛らしい衵(あこめ)姿も、裳着の式の時に垣間見た天女のような麗しい姿も、尼そぎの髪に縁取られたあの美しい死に顔さえ……何一つ忘れたことはございませぬ」 ↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年07月15日 10時27分15秒
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