大丈夫?外務省
天木さんの1/28ブログによれば「日本は正しい政治哲学や理念も無い事から、国家外交は対米追従一路に執着し、政界は派閥と権力簒奪の争いで月日を送っており、軍国主義の復活は危険度を超えている」と北朝鮮から日本の政治状況まで批判されているそうです。日本の手の内が筒抜けだから、なかなか的を得ているではないか・・・・と感心している場合ではない!心配なのはしたたかな北朝鮮の外交手腕に日本政府、外務官僚は対抗しうるのか?ということだが、天木さんのブログを見る限りはお寒いかぎりのようです。一連の不祥事のあと、田中真紀子さんの失脚で改革のお目付け役がいなくなり、息をふき帰しつつある?アホタレ外務省であるが・・・アメリカ合衆国の出先機関のような外務省をこのまま国民の税金で養っていくほど国庫は潤沢だろうか?と心配するのです。1964年に自民党政府がルメイ少将に勲一等旭日大綬章を授与したそうで、その理由が「航空自衛隊の育成に貢献した」のだそうであるが・・・(ルメイ少将とはB-29による本土大空襲の発案者でありかつ実行部隊の司令官でした)アメリカに物申す状況になかったにしろ、政府、外務省の対米追従のスタンスはこの頃から発していたのかと苦々しく思うのです。持論ですが宮内庁と外務省を統合し儀典庁とすることでスリム化を図り、ODAの中間搾取を排し、税金の有効活用を図るべきだと思うのです。だって今の北朝鮮に対する外交方針策定には外務省がいてもいなくても大差ないし、大局は政府判断に任すしかないじゃーないですか。(いまだに閨閥を縁故採用する旧幣害務省に期待するのが、どだい無理があるのだろうか?)無条件降伏を避けるための本土決戦計画とは・・・今にして思えば馬鹿げているが、そこまで大本営がピントを外した背景には外務省の外交感覚が後押ししていたのではないか?と思うのです。ポーツマス条約以降の外交史と言えば現在まで、金は出すが評価が低い連戦連敗の歴史では無かったという思いがするので・・・・怒りを込めて外交史を勉強しようと思う。ところで 史実を書く場合にはよく調査する必要があるが、参考文献を意識して無視する行為を「スルー」と呼ぶらしい。私のお気楽ブログではひとつの文献をもとに書くことが多いので無意識スルーばっかりではないか。