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曹操注解 孫子の兵法

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Feb 13, 2015
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いま改めて『信長公記』を読み返してみると、
安土城を建設した後、楽市楽座で移住人口を増やす政策をとっていた時期、
織田信長はそれまで奉行など役人に任せていたであろう町の中の喧嘩にまで介入し、
部下を投入して決着をつけさせている。

清洲にせよ、岐阜にせよ、そこは旧市街があり、町役となる地域自治のリーダーがいたが。
安土城下はだれがリーダーになるのか、先に移住したもの、あとから来たもの、入り乱れた状態であった。
毎日のように、あちこちで喧嘩があり、その一部は信長の耳目にもふれた。
いわば新都市の規律を細かく整備していったと考えられるが。

法華宗と浄土宗が対決した《安土宗論》はもともと街中で説法をしていた浄土宗の高僧に、法華宗の庶民がいいがかりをつけたことに始まる。
高僧はその論難を相手にせず、「きみたちの指導者、法華宗の高僧が出てきたら、正々堂々の議論をしてさしあげよう」と応じた。
「あの騒ぎは何だ」と城下のありさまを聞きつけた信長は、浄土宗と法華宗の高僧たちをみずから召集し、さらに他宗の高僧を審判に任命、武装兵に警護させ、争乱にならない手筈を整えた。

すでに比叡山や本願寺を叩きつぶした後の信長は、ルイス・フロイスが嘆いたように、完全な無神論哲学に固まっていた。
しかし、学問と知識は尊重していた。

この安土宗論で、法華宗の高僧に勉強不足が発覚すると、
勝った浄土宗には褒美を出し、法華宗の者たちには見せしめに市民の嘲弄にゆだね、
「もう他の宗派に論争はしかけない」と宗門代表の謝罪誓約書も提出させた。

しかし、こんなに気前よく褒美ばかり出していると、さすがの信長もポケットマネーに困り出した。
そこで、せっかく移住してきたものに、非行をとがめて財産を没収したり、罰金や上納金を出させて罪を赦したりした。

ある富豪は盲目でもないのに金貸しに興味を持ち、
目が不自由な人々の集まりに賛助金を出して「検校」というタイトルを買った。
検校は目が不自由な人々(座頭)を代表して、その職業をあっせんして、利益をあげる専業を公認された地位。
目が不自由ではない健常者がこんなことをやっていいのか、と座頭たちが連名で安土の奉行所に訴えた。
最近、大学生のチームが「何十年も閉店しないのに、毎日、閉店セールをやっている店」を調査して、消費者庁に陳情書を提出したが。

いまも昔も似たようなものだね(笑)

奉行から報告を受けた信長は、義憤にかられたのだろう、
「そのうそつきを召し出せ」と命じた。
非行を責めて打ち首にしてやる、というつもりだったのだろうが。
にせ検校が謝罪して、財産を差し出すと赦免している。

あれあれ。

信長は近隣のものに呼びかけて、城内で相撲大会をやった。
ところが、優勝者に褒美をやろうとしたのに、
ポケットマネーがないという。
そこで、非行で財産を没収したものの屋敷を褒美に出すことにした。

織田信長さん気前よすぎて金欠で苦しんだこともあったのだね。


戦費ばかりかけて働きの悪い光秀に激怒したり、
「上様金欠」の内情を察して、さっそく戦地から戦利品を届けた秀吉に高笑いしたり。


信長も中小企業から大組織に急成長した経営者として喜怒哀楽の苦労していたんでありますよ。






Last updated  Feb 14, 2015 04:56:29 PM


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