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テーマ:海外生活(7779)
カテゴリ:NY発信
楽天友達の技術屋さんの「肩書き」 という日記を読んで、短大時代の男友達を思い出した。
私達は大学一年生で同級生だったが、彼は高校時代に一年休学してアメリカ留学していたので、本当はひとつ年上だった。サークルが一緒だったのだが、そこは東大、一橋大学等の国立大学や私立では慶応大学、早稲田大学に通う人の多いサークルだった。 私と一緒に入会した女親友は短大通い、圧倒的に男子が多いサークル内ではマスコットガールと呼ばれていた。数少ない女子の通う大学は、上智大学、聖心女子大、日本女子大。私と親友は少し気後れを感じていた。 その中にいたのがA君だった。彼の通う大学は知名度はあっても一流とは言えない学校。だけど、彼は誰にも負けないストレートさを持っていた。物事を本当にはっきり言う。18歳、19歳でそんなにはっきり物事を見極め、言葉に現す彼は骨っぽかった。それもその筈、彼は空手の黒帯保持者だった。 「オッス!」 会った時の挨拶も体育会系。学ランに下駄でも履いたら応援団そのもののような彼を見ていると、こっちまで溌剌とさせられた気分になった。 そんな彼は私の親友に一目惚れしたのだった。サークルの飲み会の帰り際でも、はっきりと遠まわしに告白しているのである。 「Kさんてかわいいね。」 よくも本人を目の前にして、それもサークルの人達が回りにいる中、真顔で言えるな、と私は逆に感心してしまった。だから出来るだけ二人を取り持ってあげたいと思っていた。私なりに努力したつもりだったが、2年後、何事もなく私と親友は短大を卒業し、私はアメリカへ、彼女はカナダへと留学した。 彼女がカナダへ行ってから電話で連絡を取った時である。 「私、A君の事好きだったの。」 そう親友が言ったのだ。なんと両思いだったとは! それをお互いが知らずにいたなんて。時既に遅し。海は二人の距離をもっと離した。1年後一時帰国した私はA君に会った。その時、私の親友も彼の事を思っていたと告げた。凄く残念そうだったのを覚えている。 けれどそれ以上に驚き、忘れない事がある。私がA君と会った時、写真を見せてくれた。それは彼が空手の胴衣を着てグランド・キャニオンの上に立っている写真だ。赤土に白い胴衣を着たA君が型のポーズをしているのだ。 カッコイイ! お世辞でなく、本当に格好良かった。空手の仲間数人引き連れてグランド・キャニオンへ行ったという。その時彼の空手暦13年。「カッコイイね~」と連発して言う私を無視するかのように、黒帯を保持する事の意味を語り始めた。 「空手をやるからにはケンカしてはいけない。こっちが勝つに決まっているから。またそうやって手を出しては行けないんだ。どうしても、という時には自分の責任を考えなければならない。特に僕のように黒帯保持者は加害してしまった時に、黒帯の意味を問われてしまう。だから黒帯には黒帯の責任があるんだ。」 ただ単に黒帯になるだけでは駄目。精神的にも相応しい人間にならないと駄目だとはっきり言いきった。そして私はこう訊ねた。 「空手から何を学んだの?」 そうすると彼は私が一生忘れない教訓を教えてくれたのだ。 「今と見つめ合う事。今戦わなければ、いつ戦うの? 明日に試合は出来ない。今向き合って戦わなければ駄目でしょ。それから戦う準備が出来てないと駄目。それが僕が空手13年やって学んだ事。」 今しなかったら、いつするの? あれから私はこの言葉を何度口にしただろうか。現実逃避せず、見つめ合う姿勢を元同級生から学んだのだった。なんだか親友がA君を好きだったのがやっと解かるような気がした。 それから数年後、私が転職した先が偶然にも彼の会社だった。社内名簿から連絡を取ってみると、彼はベトナム駐在になっていた。私がニューヨークにいる事、また同じ会社に転職した事を凄く驚いていた。 それより更に驚いたのは、彼がベトナムでも空手を続けている事だった。駐在前には大阪のチャンピオンになったと聞いた。そしてベトナムでもチャンピオンとなり、今度はチャンピオンを育てるべく空手を教えていると言っていた。 あれから数年。音沙汰無くなってだいぶ経つ。彼が結婚したと聞いたので、連絡を取るのが気が引けたのだ。これが女友達と男友達の大きな違い。男友達で結婚後も交流があるのは私の尊敬する大先輩一人だけである。少し残念だが、それが現実。 「今やらなければ、いつやるの?」 そう言って目を輝かせて熱く語ってくれたA君は今ごろどうしているだろうか。きっとAジュニアに空手、人生を教えているに違いない。 いつも今を見つめて、幸せでありますように。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Nov 17, 2004 09:48:05 AM
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