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テーマ:海外生活(7779)
カテゴリ:NY発信
「アメリカに長く住んでいる日本人ってアイデンティティーって無いんだね。」
去年5月に日本から遊びに来た友達がそう言い残して帰国した。彼女の残していったその言葉がずっと頭の中から消えない。かれこれ1年になる。 私を含め親しい日本人の友達は私より少し年上で、18年近くアメリカに住んでいる人たち。日本で生まれ育っても、人生の約半分をアメリカで生きてきた人たちだ。日本人でありながら、アメリカ人みたい。でもアメリカ人ではなく日本人。中途半端といえば中途半端かもしれない。二つの文化・国にぶら下がっている。 だけど、「アイデンティティーが無いね」とはっきり言われた時には、多少なりともショックだった。 私は自分はとっても日本人だと思っている。自分のルーツであるご先祖様のお墓参りは帰国の度必ず行く。伝統芸能や伝統文化をたしなむ事は出来ないけれど、大切にしたいという心を持っている。そして何より、自分が日本人である事を誇りに生きている。アメリカの精神、日本人の心と言われるが、その通りで心に日本人の美が表れると思っている。 だけど外界から向けられる目は違う。 「アメリカ人よりアメリカ人」だと日本人に言われ、日本語ペラペラのアメリカ人男性とデートすれば、「ゆーみんはアメリカ人」と見られる。私はアメリカに住みたい続けたいと思っているが、アメリカ人になりたいと思った事はない。というより、誰でもアメリカ人になれる事を15年この国に生きて知ったのだ。それは私が日本の赤いパスポートを捨てれば可能になる。 国籍にこだわりはない。日本で生まれて日本のパスポートを持ってる。それでいい。だって宇宙から地球を眺めたら、アメリカもアフリカもイラクもイランも日本もサモアも地球にある。パスポートのリミット。この広い銀河宇宙の一惑星だけのパスポート。宇宙に出ればパスポートは無効。馬鹿みたいな事言ってる、と思われるかもしれないけれど、自分探しの旅の途中で気が付かされたことなのだ。 そもそもアイデンティティーとは何なんだろう? なんか大学時代に戻ってペーパーかいて見るみたいな気分だけど、ちょっとネットで調べてみた。 ● 独自性 ● 自己認識 ● 共同体(地域・組織・集団など)への帰属意識 ● 自己同一性(Self Identity、セルフ・アイデンティティ)とは、自分は何者であり、何をなすべきかという個人の心の中に保持される概念。自我同一性ともいう。 ふうん、そうなんだ。アイデンティティーというのは我と外界のマクロとミクロの世界なんだ。「私は何者」という概念を持つ私は社会という集団の中で生きている。そして帰属意識によって自分の所属する共同体に誇りを持つことなんだ。 アイデンティティーが無いということは、自分が無く帰属意識もないということ。そう考えると、国は宙ぶらりんだけれども、私も私の友達も「宙ぶらりん」のアイデンティティーがある。それは日本で生きて住んでいる彼女のアイデンティティーとは違って当たり前。やっと胸の支えがとれた気分になった。 実はこのうやもやしていたアイデンティティーについては、楽天仲間のくろとらあきよさんの日記を読んで救われた。彼女の日記に美輪明宏さんの言葉が書かれてあった。 「バイリンガル」の記述があり、バイリンガルは日本では英語が出来ると尊敬されるけど、アメリカへ来たら赤ん坊でも英語を話し、歴史を知っていて当たり前。だからアイデンティティーがなくなる。アメリカで尊敬されるのはアメリカ人の知らないこと、つまりは生い立ちやアイデンティティ、歴史から生活習慣などの教養百般にわたっての知識であり、英語が話せなくても尊敬を受ける。そうするとナニジンではなくて、人間そのもの、地球人というアイデンティティーを持ち、「あなたの故郷はどこですか?」と聞かれたら、「はい、この地球です。この宇宙が私の故郷です。」と答えられるようになる、と。 私はどこにいても私。 私という宇宙を持って、外界との繋がりをもって生きている。帰属意識は今はアメリカであり、日本であり、ニューヨークであり、日本の家族であり、勤め先の会社であり、某コミュニティー雑誌であり、ショウビズの世界であり、・・・その繋がりは広く多くある。それが私のアイデンティティーなんだ。 「この宇宙がわたしのふるさとです。」 この言葉が心にずしんと染みる。一人暮らしのアパートからから沢山家族の待つ家に「ただいま!」と言って帰って行くようなホッとした気分になる。 やっと心の中のもやもやが晴れた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 1, 2005 02:19:29 PM
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