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カテゴリ:Memories
このような状態が続き,私もすっかり自信を喪失してしまいました。
「これ以上,師匠に迷惑をかけ続けるわけにはいかない」 そう思った私は,師匠・発起人との飲み会の席で, 「会の活動の第一線からは退かせて欲しい。メルマガと掲示板のレスは引き続き担当するが,教材開発からは手を引かせて欲しい。Jさんの眼鏡にかなうものを作れる自信が全くない」 と訴えました。 我ながら,悲痛な叫びでした。 師匠と発起人は顔色を変え懸命に説得してくれましたが,自信って説得で回復するもんじゃないんです。 「じゃあ,どういうテキストを作れば,師匠は満足されるのですか?」と詰め寄ると, 「だから,KAZUが自分の好きなように作ればいいだけじゃないか。KAZUにしか作れないものを」 「それがうまくいけば,こんなこと宣言しませんよ」 ちょっとした激論の末,この件は沙汰止みになりました。 たまりかねた師匠から,一回だけ「こーゆーものをこんなふうに」という手ほどきを受けたことがあります。 その通りやってはみたものの,作っていて面白くも何ともありませんでした。 「これは違う!!」 そのとき,かすかな道筋が見えました。 「こんなふうに作ったって,底の浅い『ウロコ流』の模倣が関の山だ。少なくとも『オレ流』では絶対にない。」 そもそも,作り方の手ほどきを受けたこと自体が「危険信号」なんです。 師匠が塾生を指導する際,基礎が身に付いていないコには懇切丁寧に教えますが,いわゆる「できるコ」には意地悪です。 私を「できるコ」と見てくださっていたからこそ,抽象的なアドバイスにとどめておられたのだと考えました。 「これじゃあ,オレ,弟子としては失格じゃん」 自嘲気味にそう思いました。 他方,一計を案じた発起人は,試作品さえ芳しくない私に,販売用教材の開発を打診してきました。 有無を言わさずに,とにかく作らせてしまおうということだったのでしょう。 もしかすると,師匠と発起人との間で,このようなやり取りがあったのかもしれません。 死中に活を求めていた私は,半ばヤケクソでこの企画を引き受けました。 前回と違って制約が少なく,英語ネタなら何でもいいとのこと。 ただし,「月一」のペースで全12講座という長丁場でした。 今だから言えることですが,よくもマアこんな無茶な企画に乗ったものです。 1年間,地獄のような苦しみを味わう破目になったのですから。 でも,このテキストがあったからこそ,今日の私があると言っても過言ではありません。 その意味で,発起人には感謝しています。 まずは12講座全体の構成を練り,全体像が固まったところで,第1講座の作成に着手。 「be動詞」だけで20ページほど論じなければなりません。 そうなると,自分が持っているものすべてを吐き出し,ページ数を稼ぐ必要がありました。 またもや1か月以上の悪戦苦闘の上,取りあえず完成しました。 開き直っていたため,偏った論調の解説も多々ありました。 「KAZU流」のものができたという自信は,さらにありませんでした。 「これでダメだったら,もはや打つ手がない。潔く会を脱退しよう」 そう決意し,師匠に添付ファイルを送信しました。 時に,2004年9月。 秋の気配が漂い始めた日のことでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年04月16日 22時52分31秒
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