「王家の紋章」@帝国劇場
初演に比べ、あんなところこんなところがかなり変わった、というウワサはいろいろ聞いておりますが、私は初演を観ていないのでその点についてはなんとも言えません。逆に、なぜ初演に行かなかったか、といいますと、「王家の紋章」というマンガにあまり心を惹かれたことがなかったからです。すごい人気だったし、もともとエジプト文化とかにも興味がある方なので、チャンスがあるたび何度もトライしましたが、キャロルにまったく感情移入できなかったのでそのたび断念。だから、大好きな浦井くんがメンフィスだとか聞いても心が動かなかったんです。昨日、午前中と夜に所用があって、一度帰宅するのは中途半端な時間が空いてしまったので、劇団四季の「ノートルダム」か滝沢歌舞伎でも(でも?)観ようかと調べたらすみません、「でも」とか舐めててすみません、チケット入手が困難で「王家の紋章」はゲットできたので行ってまいりました。予備知識なく、ある意味、本当に「素」のまま劇場に行ったのですよ。以下、ネタバレしますので、これから行く人は、観劇なさってからお読みくださいませ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ネタバレしますよ!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辛口ですよ!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ミュージカルですから、まず楽曲が大切ですよね。「屋根の上のバイオリン弾き」でも「レ・ミゼラブル」でも「オペラ座の怪人」でも、「ミス・サイゴン」でも「キャッツ」でも、タイトルを聞けばその場面と旋律が思い出されるような、そんな魅力的な歌がこのミュージカルにはありませんでした。リーヴァイさん、どうしちゃったの?って本気で思った。「モーツァルト!」とか「エリザベート」とか作った素晴らしい方なんですが、これは自己模倣の寄せ集めとしか思えん。短調から長調への転調コード進行とか編曲とかまったく同じだから、別の作品の名曲のサビが頭に浮かんできてしまうほど。あと、歌手の音域や生理を無視してるように思う。もちろん、それを凌駕する歌手ばかりであれば気にならないのかもしれないけれど。でも、どの歌手にも自分の良さがもっともよく出る音域というものがあって、そうでない音域だとたとえ楽に出る音域でも、魅力が半減してしまうのですよ。有名なミュージカル歌手たちがこんなにたくさん出ているのに、皆低音をうろうろしたり、音程が定まらなかったり、今までに比べなぜかヘタに聞こえてしまって、才能を生かし切っていない、もったいないと思いました。曲調に感情と一体になる抑揚がなく単調。ピアニッシモは声が詰まり、フォルテッシモはがなるばかり。豊かな声、というものに出会う回数が少ない舞台でした。歌手の音域や生理を無視してる。ということは、聴衆の生理も無視しているということで、歌を聞いている気持ちよさが理屈なしに心を洗うというような現象がまったくなかった。歌詞も頭にすっと入ってこない。心情と歌詞が旋律に乗って初めてアタマとココロがシンクロするというのに、そういう歌い方ができていたのは、女官長ナフテラ役の出雲綾のみでした。この前、トニー賞コンサートin Tokyoに行ってきましたが、ケリー・オハラの歌声は本当に素晴らしかったです。そのうえ井上芳雄もそれに負けないくらい心が揺さぶられ、それからディズニーコンサートで海宝直人の歌声にも感動し、ああ、日本のミュージカルもここまで来たんだ、と思ったばかりだったので、余計悔しくてなりません。浦井君、下手になったんじゃないの?ってほんと思ったよ。大好きな浦井君、がんばれって思った。他の人たちも、みんなこんなもんじゃないはず。そう思いたい。ストーリーに関しては、先ほども言ったように原作自体に無理があるので、あまりツッコミたくないのですが、それにしても、一人ひとりの心情の掘り下げ方が浅すぎる。そして衝撃のラスト!「えっ、これで終わり?」キャロルがメンフィスと生きることを決意するのはわかる。だけど、「エジプト上下を二分することがあってもそれはあなたのまいた種」と言っていた姉のアイシスが、メンフィスの姉にして弟を異性としても愛しているアイシスが、なぜ最後に唱和して大団円?彼女はどこで恋をあきらめた?どこでキャロルと身内になることを受け入れた? わからん。そもそも冒頭、現代エジプトで王家の墓に来たキャロルが墓の中の花束を手にした途端「封印が解かれた」と言ってキャロルを古代に誘ったのはアイシスだよね?どんな封印だったのか、封印されるようなものがあったのか、封印したのはアイシスなのか、ていうか、あの墓はあのあとどうしたんですか?キャロルが古代で命全うした証拠とか出てくるんですか?出てこないんですか?ナゾすべて放置??古代に生きることにしちゃった妹を探し続ける兄のライアンもあとは野となれ山となれ状態?王家の墓をあばいたら呪いがかかるって言われて、そんなの迷信だって言ってたら妹がいなくなって、と思ったらみつかって、でもまたいなくなって、ってどんだけトラウマなんだ?「俺のせいで愛する妹がいなくなった」ってきっと思ってる。せめて最後の場面の片隅に出して「キャロル~!」って叫ばせてあげたかったよ。そうなんです。伏線がまったく回収されていないんですよ、このお話。筋の展開に説得力もないし。なぜキャロルが古代から現代に帰ったあとに、また古代に戻ることができたのか。現代に戻ったのは命の危険とかそれなりに納得できるんだけど、問題は二度目に古代に行くきっかけ。キャロルが「行きたい」と思うといつでも行けるの?とか。ご都合主義だな~、と思ったわけです。だいたい、鉄の刀を持っているヒッタイト軍団に、エジプト軍はどうやって戦ったのか。「鉄の文化が世界を制するのよ!」ってキャロルが言ってたんだから、勝つにしても引き分けるにしても、「うう、ヒッタイトの鉄の剣、すごい!」みたいな描写がないと。そのヒッタイトのイズミルに斬られちゃったキャロルがあのまま死なないってどうよ?ハリボテといえ、メンフィスの剣が一番切れそうってどうよ?作り物のお話しだからこそ、細部のリアリティがないとウソくさくなる。そこでつまずくと、お芝居って楽しめなくなっちゃう。これが初演だったらこれほど辛口に書かないんですが、手を加えて再演してこれって、修正の方向が間違っているんじゃないかと思うんです。ミュージカルといえば劇団四季、と言われていた時代から帝劇ミュージカルが日本の最高峰と謳われるようになって久しい。何度心を撃ち抜かれ、何度涙し、胸熱くしたことでしょう。たくさんの名作、名歌手に恵まれてきた帝劇ミュージカル。大好きです。ここ数年、意識して世代交代に取り組んでいることはわかっています。それは大切な取り組みですし、そこから城田優というスターも生まれました。でも、この「王家の紋章」を見ると、作品・歌手ともに次世代への発展の方向性を定めあぐねているようにも見えてきます。恐れずに新人起用するのは大切なことですが、宮澤佐江さんは、まだミュージカルの主役には早いと思いました。歌がうまいとか声量があるとか、そういう才能に恵まれていたとしてもそれだけでは務まらないのが「主役」というもの。圧倒的なオーラ。観客を魔法にかける力がないと、なれないと思いました。少なくとも、主役でないところからミュージカルやクラシックの発声の勉強をされたほうがよいと感じました。出雲さんの歌が一番よかったって思ったということは、いいことじゃなくて悪いことなんだと思う。出雲さん「も」よかった、じゃなくちゃ。宮澤さんだけじゃなくて、他の人たちももっと奮起してもらわなくてはならないと思っています。奮起に足る作品であってほしいと心から思います。