「古事記」に見る、望郷の念
ここまで、ヤマトタケルについて、何回かにわけて書いてきました。その身に触れただけでケガをしそうな、殺気立った少年期、恋も知り、悩みもあり、それでも西に東に一生懸命戦い抜いた日々。それらの記述は非常に活気があって、時にはユーモアも感じられ、読んでいてとてもわくわくする文面です。けれど、ヤマトタケルが草薙剣を置いて山へ入るあたりから、急に話は暗くなります。「山の神なんか、素手で殺せる」といって山に入ったヤマトタケル。その山で、白い猪に出合います。牛ほどの大きさ、というから、「もののけ姫」に出てきたオッコトヌシみたいな感じ?それを見たヤマトタケル、「これは神の使いだろう。今殺さなくても、帰るときに殺そう」と口にしました。言葉は言霊(ことだま)。口にすることは、呪(しゅ)をかけること、と「陰陽師」で野村萬斎さん扮する安倍晴明も言っていたが、それよりずっと昔のヤマトタケルの時代、「おまえの名前は?」と聞かれて女の子、本名を言っちゃうと、そのオトコのモノにされちゃうっていうくらい、「口にする」ことは力をもっていました。この場面、古事記には「言挙げして詔りたまひしく」と書いてあります。そして註には、「自己の意志を言い立て」る「コトアゲ」は、タブーであった、とあります。白い大猪の姿になっていた山の神は、ヤマトタケルのコトアゲを聞いてしまいます。自分のことを「使い」としか見なかった無礼者のコトアゲ。そこで、山の神は冷たい大雨を降らして、ヤマトタケルを動顛させます。ほうほうの体でようやく山から下りて清水にさしかかったころ、パニクっていたヤマトタケルも、ようやく正気を取り戻します。そこから当藝野(たぎの)というところまでたどり着いたのですが、ヤマトタケルはどんどん弱っていきます。「心は常に、空を翔けているのだけれど、足が前に行かない。 まったくはかどらない…」なんとか出発するものの、とても疲れるので、杖をついて歩きました。「私の足は、三重に折れまがったようで、疲れている」と言っています。それで、三重県の「三重」になったと書いてあります。鈴鹿の峠のあたりに来たとき、「あともう少し」と思ったんでしょうかね、いくつか歌を歌っています。ひとつは、ものすごく有名な歌で、「やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる やまとしうるはし」望郷の念をこめて歌いました。そして「なつかしい我が家よ。我が家の方角に雲が湧き上がっているよ」と歌の半分を歌ったところで、容態が急変。ヤマトタケルは「ミヤズヒメの枕元においてきた草薙の剣、その太刀は…」と言い残して途端に息を引き取ってしまったのです。駅使(はゆまづかい=はやうま=飛脚)を飛ばして、都の家族に知らせると、大和にいた后や子どもたちがやってきて、お墓を作り、その地の田んぼを這いまわって、おいおい泣きました。すると、大きな白鳥が空を翔け、浜のほうに向かって飛んでいきました。古事記には「八尋白智鳥に化(な)りて」とあるので、ヤマトタケルが白鳥になって飛んでいった、というのです。「あ! お父さんだ!」悲しみにうちひしがれていた妻や子どもは足元が、竹の切り株に当たって傷になるのもかまわず、痛いのも忘れてわんわん泣きながらその鳥を追っていきました。「篠原を掻き分けていくと、腰まで篠がまつわって身動きがとれません。 鳥のように、空を飛んでいくというようにはいかない…」そこから海を行き、浜を行き、白鳥は河内の国にとまったので、そこにまたお墓を作って「白鳥の御陵」と呼ぶようになったそうです。しかし、白鳥は、またどこかに飛んでいってしまいました。ヤマトタケルに、安住の地はないっていうことでしょうか。日本各地をぐるぐる巡る運命にあったということでしょうか。それにしても、どうしてヤマトタケルは、草薙剣を置いて出て行ったんでしょうかね。それは、驕りかもしれません。自分の力で日本を平定したのだ、と思いあがっていたけれど、伊勢神宮で賜った霊験あらたかな衣や剣がなければ(つまり、天皇家の威光という後ろ盾がなければ)一個人としての力など、知れたものだったということなのかもしれません。「親父はボクが死ねばいいと思っているんだろうか」というつぶやきが、ここで大きな意味を持っているかもしれません。父を越えて、一人だけの力で生きてみたい、と思ったのかもしれません。もしかしたら、ミヤズヒメを守りたかったのかもしれません。「ボクは一人でも大丈夫。この剣がおまえを守ってくれますように」そんなつもりだったのかも。「剣」はモノではなくて、「剣を持った軍隊」という意味だったのかも。いろいろなことを考えます。足を泥だらけにし、傷がつくのもかまわずに白鳥を死んだ人だと思ってどこまでも走って追いつこうとする遺族の気持ちにはぐっと迫ってくるものがあります。だからこそ、このとき詠まれた4つの歌は、代々、天皇の葬儀で必ず歌われたのでしょう。悲劇のヒーローは、タタミの上では死ねないのです。