震災から2年
俳優の村上弘明の実家は陸前高田市にあった。2年前の津波で、門扉以外全部もっていかれた。村上が直後に入った「ふるさと」は、跡形もなく、すべての思い出の「形」は根こそぎ奪われた。家も、町も、人も。彼は支援を続けるうちに、生き方が変わったという。「将来のための今」という考え方を捨てた。常に、将来のために今を生きていた。将来のためなら、今をがまんして。でも、あの日、多くの人の「将来」は消えた。来ないかもしれない将来より、今ある「今」を生きなければ。「今」まるごとの、価値を、噛みしめた言葉だ。本当なら、「将来」を設定して逆算する生き方のほうが、ずっと楽しいはずなのだ。「今」だけを見て生きるのは、そんな刹那的な生き方は、楽なようでいて、苦しい。「将来」を目標に前を見ながら生きるときは、高い目標に引っ張られるようにしてがんばれる。エネルギーを生む。上を見ず、それでも日々充実感を得ながら一日一日をを積み重ねるのは、至難の業だ。未来に届くために積み重ねるのと、積み上げた結果、何かに届くのとは、その過程のモチベーションの持ち方が違う。それでも「未来のため」を考えないのは、考えるべき未来を明るく想像できないからではないか。「未来永劫未来は続く」と思えない。「今よりよくなる」と思えない。「今」と「明るい未来」をつなぐ魔法の杖を持っていないから。村上さんに比べれば、私は具体的には何も失っていない。家もある。親しい人は誰も死ななかった。震災で壊れた町のあちこちも、目に見えてきれいになった。でも私も、「今」を考えて生きるようになった自分を感じる。村上さんとは、少し意味が違うかもしれない。「未来」を考えるのがつらいのだ。何十年後の未来なんて、あるんだろうか。日本の明るい未来なんて、どうやったら想像できるんだろう。何十年後の未来のために、今をいきろなんて、子どもたちに言えない。2年前、子どもたちをできるだけ被曝から遠ざけようとして神経質になる私に息子は「もう別に俺はいいんだよ。どこでも同じだよ」と言った。「もんじゅは日本の未来」と言い放った成人の男に、それ以上かける言葉を知らない。今朝テレビを見ていたら、福島に残り続け、看護師になった娘を持つ両親が避難先の千葉県から福島県内の別の市に戻る決心をしたという話を取り上げていた。「娘の決断に背中を押されて家族がまた一つになれた」のだとか。これは美談なんだろうか。この親の悲しくて苦しい決断に、私は涙を抑えられない。自分たちは、娘を避難させたいのだ。娘のために、2年間、身をもって避難し、娘がいつでも避難できる場所を用意していた。娘の将来のために。でも。もはや娘の決意が固いと知るや、親たちは、娘の「今」を支えるほうに転じた。今、せめて今だけでも、娘を幸せにしたい。どうなるかわからない「娘の将来」より、今苦しんでいる「娘の今」に寄り添いたい。親としての価値観を捨ててまで。家族だから。どんなに情けない思いをしただろう。娘の人生を否定しないで、自分たちの人生を否定することを選んだ親たちの愛。最後まで反対したのに、志願して戦争に行く息子と喧嘩して出征の朝見送りに出なかった父親が息子が乗った列車に向かって畑の真ん中から「万歳」を唱えるドラマ、あったな。もう、みんな「将来」のことなんか、考えてないっていうことなんじゃないか。みんな、「今」を生きる方にシフトしたんだ、きっと。私も子どもたちには「今やりたいこと」をやってもらいたいと思っている。「今やりたいこと」をやって、それが積み重なっていけば、それが、彼らの「未来」になるから。その「未来」が、来てくれることを祈る。祈る。そしてそのためにできることを、やる。「今」できることを。