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マイノリティに乾杯

2008.06.09
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驚きの手話「パ」「ポ」翻訳

何げなくつけていたNHK教育テレビで、手話の授業をやっていました。
といっても、
いわゆる「手話講座」とはちょっと違います。

男の人がものすごいスピードで手話を扱い、
黒板を使ってその文をどう表現するかを、どんどん紹介していきます。
10人くらいの生徒が、一生けんめいノートをとっています。

その後、カメラはスタジオへ。
さっきまで講師をしていた先生と、司会の女性とのお話です。
先生は米内山明宏(よないやま・あきひろ)さん。

先生の話から、
さっきの授業は手話の「翻訳」の話だとわかりました。
手話にも「通訳」と「翻訳」がある。
こんな当たり前のことに、私は初めて気づきました。

手話では「仕事」と「会社」が同じ。
だから気をつけないと
「仕事がうまくいかない」を「この会社ではダメだ」ととらえかねない、とか、
「この仕事、私には合わない」というのを
「一生けんめいやったんだけど、うまくいかない」いうニュアンスをどう出すか、など
なるほどなー、という話が多かったです。

先生は
「今までの手話のトレーニングには、翻訳の視点が欠けていた」と話します。
お友達と話が通じればそれでいい、程度の手話でみんなが満足していると、
健常者に手話をきちんと習得してもらうことができない。
手話も一つの言語として文法などを体系的に整え、
それを「本」を通してきちんと伝えるためには、「翻訳」が重要だ、と。

また、
この本にある「パ」「ポ」という意味もおしえてくれました。
手話には「パ」「ピ」「プ」「ペ」「ポ」で感情を表現するやり方があるのだそうです。
口の形で素早く伝えられるので、とても便利だとか。
「でも、このことを、健常者の通訳は知らない。知らないので見逃してしまうのです」

顔の表情もまた、大事な「手話」なのですね。

私は手話をあまりよく知らず、
「ありがとう」とか「おいしい」「ところで」「いっしょに」くらいしかわかりませんが、
この本は、一つの「言語」としての手話の魅力が詰まっていそう。
手にとって見たい一冊です。






Last updated  2008.06.09 21:12:22
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2008.02.26
Toshi Cappuccinoさんは、ニューヨーク在住の演劇評論家&プロデューサー。
師匠が彼と知り合いということもあって、
彼の「キャバレーショー」を観に行くことにしました。

平日の夜遅く、新宿歌舞伎町のお店で22:30から始まるショウというのに、
地下のお店(MARS)へ通じる階段は、建物の外まで行列が…!
お客を全員中に入れ、少し遅れてショウが始まったときには、
店内は満員。
前日のtoshiさんのブログに書いてあったとおり、席数の3倍の人数は優に超えていましたね。

ショーはtoshiさんの今までを振り返る形でMCが進行、
その人生模様にふさわしい内容の曲を歌っていく、という流れでした。
久しぶりの大音量ライブ。
間近で体験するライブは、重低音が五臓六腑にしみわたる、といった感じ。
10歳の時から「のど自慢大会」荒らしだったというtoshiさん、
本場ニューヨークのミュージカルのオーディションも受けまくっていたとか。
声量たっぷり。音域も広く、並の歌手よりずーっと上手かった!
(時々、緊張からか、声、うわずってましたが)

歌も堪能したけれども、
toshiさんのお話がまたステキで。
彼はgayで、今はそのことを公表して生きています。
そんな彼にも、今ほどしっかりと自分と向き合えなかった日々がありました。

「中学の時、自殺しようと思ったこともあったの。
 …今じゃ考えられないでしょ? このヒラキナオリの人生!!」

20年以上前、
「ゴールデンタイムのテレビにおネエキャラが出るなんて、ありえなかった」時代。
同じような気持ちを持っている人がこの世にいることもわからなかった日々。
その時、命を絶たなくて、本当によかった。

「昔、自殺を考えたことがある」という言葉は最近、
人の共感を得たかったり、慰められたかったりして使うような場面が多くなっている気がするけど、
toshiさんの言葉は、今八方ふさがりになっている人への、温かいエールに聞こえました。

歌手をめざして東京にやってきたものの、挫折するくだりにも感動した。
「舞台に立つということは、自分をすべてさらけ出すこと。だからこそお客様は感動する。
 でも、当時の私は、それができなかった」

自分を表現することができず、歌手をあきらめ地元に帰ったといいます。

ツルツル頭で中年のオジサマが歌っているだけなのに、
その顔がとても美しく見えるのはなぜなんだろう、と思っていました。
それは
「自分をさらけ出している」からなんだな、
その覚悟が清清しさをかもし出すんだな、と気づきました。

人間、
自分が自分を受け入れられない、という段階から
自分では自分を認められる、愛せる、という段階へ移行できたとき、
人生が格段に違ってくるけれど、
さらに大きいのが
それを「自分で人に言えるか」ということ。

前にマイノリティの人のインタビューをしたことがあります。
「今日はその話には触れないで」と言われました。
純粋に職業のことを聞いてくれ、と。

私もそのつもりで行ったので、インタビュー自体はうまくいったんですが、
原稿をまとめる段になり、
「まったく触れない」ことの矛盾につきあたりました。

人がひとまわり大きくなるとき、
脱ぎ捨てた自分のカラはどんな形をしていたか、
今大事にしているものが何なのか、
一番触れてほしくないものは、一番大事なものでもあるわけで。
それを抜きにしてその人を語るのは、とても難しいと感じました。
その人が、今どうしてこんなに輝いているのか、
「触れ方」にはいろいろあるけれど、
「まったく触れない」は不自然だった、と思います。
結局、読者に予備知識があることを前提に『におわせる』しかない。
しかし、
それは逆効果ではないのか? かえって憶測を呼ぶのではないか?
いろいろ考えさせられた取材でした。

「人がそのことについてどう言おうと、それはかまわないけど、
 自分から話すのは辛い」とその人は言っていました。

toshiさんにも、きっとそういう時代があって、
そして今、
「自分で自分を語る」言葉を持てる時代になったんだろうな。

過去の恋愛から何を学んだか。
それが今の自分にどう生かされているか。
現在最高のパートナーと幸せに暮らしているからこそ、
その安定感がさらに笑顔を輝かせているのかもしれません。

初めてニューヨークに行った時、
男と男が街中で手をつなぎ、仲よさそうに歩いているのを見、
たくさんのゲイ・バーがあると知ったときは、
「生きながら、天国(パラダイス)に来たのかと思うほど感激した」そうです。

それは、ティファニーで買い物できた!とか、そういう「感激」とはまったく比べ物にならない、
本当に素晴らしい感覚だった、と。
それだけ、抑圧されていたことの、裏返しだった、と。

苦しかった中学、高校時代のことは、彼はあまり覚えていないと言います。
でも、今は最高に幸せな人生を歩んでいる。

「言いたいのは、人は変わる、変われるということ。
 そしてそれは、だれにも止められない、ということ」

もし、「苦労して自分を受け入れる」ことなど必要ない人生だったら、
歌の才能だけを信じて「歌手」への道を突っ走っていただろう。
回り道して、回り道して、
ようやくつかんだ「歌手としての自分」。

約1時間のステージの最後は「One Night Only」。
この日がToshi Cappuccinoとしての日本最初のステージだったこともあいまって、
深く心に沁みました。

たった1時間のステージで、観客全員を自分の味方にしちゃうその構成たるや、
さすがプロデューサー!
そして、やっぱりお人柄かな?

まさか、彼が泣いてしまうなんて思わなかった。
本当に、心のすべてをさらけ出してくれたんですね。

開場が押した分だけお開きも伸びて、
家にたどり着けるかドキドキでしたが、
何とか深夜バスに乗ることができ、午前2時前に帰宅。
しかし、0時をまわった歌舞伎町でタクシー拾う自分って、
あんまり想像したことありませんでした。
ああ、
濃~い一日。
まだ体の奥で、重低音がズシズシとリフレインしています。

ほぼ同じ内容で行われたNY公演のもようはこちらで楽しめます。






Last updated  2008.02.26 08:44:03
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2008.01.23
「障害者」あるいは「障害児」という言葉を使いたくない、という
当事者及びその家族の方がたくさんいます。

それじゃあ、何て呼べばいいの?…っていうことで、
改名キャンペーンが今行われています。

「障害者」っていうと、その人が「障害」みたいな感じに受け取れる。
そうではなくて
生きていくときに、ちょこっと手助けが必要だ、とか
その人の周りに「障碍(がい)」があって、生きにくい、とか、
そういう感じが出ないかっていう願いです。

言い換えが必要だということは、
その言葉に特別な感覚がついてしまった結果でもあります。

「身体(あるいは心身)障害者」という言葉は、
それまで使われていた言葉(「かたわ」など。説明のために敢えて使います。あしからず)が
差別的だということで、考え出された言葉です。
だから、
本来はその言葉自身に差別的な意味はないはず。

それが気がつくと「しんしょう(身障)」などという言葉が差別的に使われたりしたのです。
一度「色」がつくと、
その言葉を発するたびに、心が痛くなります。

それに、
自分やその家族を紹介する時に、
いつも「害」という言葉を使わなければならないのは、苦痛です。

「うちの子、ちょっと障害があってね」って説明するのもイヤ。
言われた方も、どう受け答えていいか戸惑いますよね。
「ちょっとケガしてね」というと、
「えーっ、どうしたの?」とか、気軽に質問できるのに。

ここも、重要なポイントかも。
「どうしたの?」って聞かれたいか、聞かれたくないか。

今回のキャンペーンの中間報告では

「要支援児」「ちゃれるどちゃるどれん」「たいよう」「健尊児」「アトム」「宝子」
「ユニ育」「ユニっ子」「ユニ」などが入ってます。

これらの言葉を、さっきの会話にあてはめてみましょう。

「うちの子、要支援児なの」
 →一発でいわゆる「障害児」だとわかる。言い換え版。
  それだけに、「障害児」と同じ運命をたどる可能性も高い。

「うちの子、健尊児なの」
 →広まればわかる。けど、「尊(そん)」が「損(そん)」につながらないか?
  音は大事。「謙遜児」に聞こえてもつまらん。謙遜する必要ないし。

「うちの子、たいようなの」
 →これ、きっとわからないと思う。結局「どういう意味?」って聞き返されて
  「障害児ってこと」って説明しちゃわないかな。
  「たいよう」が「太陽」と違う普通名詞として普及するのは、難しくないか?

「うちの子、ユニ育なの」
 →「うちの子ユニークなの」って聞こえる。
  「たいよう」と同じく、その子の状態を知っている場合にしか通じないかも。
   知り合いがつけたネーミングなので、応援したいけどー。

「うちの子、ユニっ子なの」
 →「ユニ育」と同じ精神ながら、こっちの方が誤解が少ないような気がする。
 お役所の資料に「ユニっ子教育」とか「ユニっ子支援」とかあってもそれほど違和感ない。

ただ、これに対応する「障害者」の言い換えは?
「ユニっ子」は大きくなったらどう呼ばれるの?

誤解を恐れずに言えば、
「ユニっ子」という響きには生れた時からユニっ子、という感触を持つ。
「○○ちゃんは、事故にあってユニっ子になりました」というフレーズは、思い浮かばない。
ましてや、「18歳のユニっ子」というのも違和感。
障害児に対する「愛称」なのか、「総称」なのか。
そこをはっきりさせないと、選べないなー。

「うちの子、ちゃれるどちゃるどれんなの」
 →これは、いいにくい。
 アメリカでいう「チャレンジド」を意識して作ったのでしょうね。
 やはり、いいにくいものは、定着しないと思います。
 これだったらまだ「チャレンジド」そのものズバリの方が通りやすいでしょう。

「ハンディキャップト」が「チャレンジド」になったのって、
「後進国」が「発展途上国」に変わったのと同じかな。

単なる言い換えにすぎないって思う人もいるかもしれない。
でも、
今「裏日本」って言ったら「裏社会」のこと?とか思うでしょ?
私が小学生の頃は、「裏日本」って、平気で使っていたもんね。
言葉がなくなったと同時に、「裏」と呼ばれる悔しさも、
人を傷つけているという意識なく自分のいないところを「裏」と言う無神経さも
消えてなくなったいい証拠です。

だから、
たしかに「言葉」が使われなくなると、その結果差別感情もなくなる、
という事実はあるのです。

その一方で、
言葉を使わなくなっても、差別する気持ちがなくならない限り、
いたちごっこじゃないか?と思うこともあり、
なかなか自分の中で結論を出せません。
言葉って、本当に難しい。


こちらのブログでは、このキャンペーンを、
「どれがいいか?」と改名だけに血道をあげるのではなく、
社会の状況をどうとらえるか、という広い視野で盛り上げるべく、
さまざまな意見を読むことができます。
共感できる意見が多いです。

それにしても、いい言葉、ないかな。
「うちの子、○○でね」というと、
「ふーん、そうなんだ。何か手伝うことあったら言ってね」と
笑顔が生れるような言葉。






Last updated  2008.01.23 22:25:25
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