輪島競歩と北陸の列車たち(5)
2013年4月、石川県輪島市で全日本競歩輪島大会を観戦した。その競歩大会に併設する形で実施されたスピードウォーク in 輪島大会3kmの部に、私も選手として初参加。競歩競技の普及、過疎化の進む地方における鉄道復権などを願い5回シリーズで投稿。 全日本競歩の開会式が始まったようだ。旧輪島駅舎「ふらっと訪夢(ほうむ)」のほうから和太鼓の音色が聞こえてきたが、私が選手として参加するスピードウォークの部門は午後のスタートだから人込みを避け、少し離れた一本松総合運動公園の小高い場所で心を落ち着かせることにした。 4月も下旬に入るというのに、桜はまだ五分咲き。曇りがちでかなり寒い。 もう数十年以上も前から、ブルートレイン北陸か急行能登に乗り輪島競歩の観戦に来ていたけれども、大会の喧騒からすこし離れて、この、一本松総合運動公園の桜を見るのも好きである。とくに今回は、午後から初めて選手として参加するから緊張もある。 昼食をとり、さて、大会会場に向かうものの、ここからが問題であった。 スピードウォーク参加者のみ、離れた場所にある小学校が受付場所であった。日差しは無く、寒い中、トイレ横で着替えたが驚いた。スタート地点は旧輪島駅舎の裏側だという。荷物を持って1キロほど歩いて戻ってくれとのこと。右往左往。その旨、事前に説明書もない。あきれた対応に一喝してやるも、ぽかんとした表情で女性スタッフは何も言い返せない。すると、慌てた感じで、若い男性スタッフが謝罪し、説明してくれたが、 もう少し、参加者の目線に立った運営が出来ないものか。招待選手や、全日本競歩の楽聖にはストーブ付きの立派な着替え(待機)部屋があるのに、スピードウォーク参加者には無い。スタート地点まで1キロ近く荷物を持って移動した挙句、スタートラインも荷物置き場から戻るような形で建物のずっと反対側・・。 厳しい言い方になるが、こんな対応では競歩の未来もないし、競技人口が増えないだろう。鉄道が廃線になるのもまた、やる気がなかったからだと頷(うなず)けてしまう。輪島市が本気で、競歩を普及する気であるのならば、小生、スピードウォークは初参加だったけれども、だからこそ初めての者に対して事前にわかりやすい地図や、親身なアドバイスもほしかった。今年もまた4月に全日本競歩輪島大会は例年通り開催されると思うが、わざわざ輪島まで出向いて競歩を、今年も見るかは未定。鉄道ファンの一人として、正直、鉄道も消えて20年以上になる輪島市に魅力は感じなくなった。そのうえ、お粗末な運営とあってはスピードウォークに支払ってまで次回以降エントリーしたくない。 ともあれ、一喝した効果でむしろ気合が入ったようで、途中まで、先頭の選手が50m程先に見える距離を保ちながら力強く歩き、3キロを18分台で完走、ならぬ完歩できたのは自身、やるなと思う。地元東京の、陸歩クラブの江戸川競歩大会でも、早くても3キロ22分くらいだから、18分台という記録はかなり良いほう。 あいにくの冷たい雨になったが、この日は海岸通り近くで1泊。翌朝(日曜日)は、雨がさらに強く、横殴りに。早朝の女子競歩の見学は諦め、雨が少し弱くなるのを待って午前10時に宿を出発。高校男子競歩(5000mw)のみ見学した次第。 学校ジャージ姿な中学生が参加していた、前日のスピードウォークの時みたいに雑談しながら歩いているような選手はいない。さすがに真剣さも違う。途中から、みぞれ交じりの冷たい雨になったが、駅伝選手のような気迫だ。前記のようにスピードウォークの受付等にかなり問題点はあったが、男子高校競歩を見れたので今年も清々(すがすが)しい気分になる。 683系しらさぎグリーン車~米原乗換~700系ひかり~小田原乗換~小田急ロマンスカーで新宿。最後は青梅街道を競歩。そのままビル掃除の夜勤に入った。東京も夜かなり寒かったが、高校競歩少年たちから貰ったパワーがずっと体を温める輪島旅ではあった。(おわり)にほんブログ村 https://blogmura.com/