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2010.01.30
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カテゴリ:殺人のいざない
前回は秋葉の通り魔事件はマスコミのマインドコントロール
によるものではないか?
と書いていました

今回は、また別の視点での事件の考察を書いてみます

ニーチェの言葉に
「狂気は個人の場合は稀なことであるが、
 集団・民族・時代にあっては通例である。」
というものあります 

この言葉の解釈には微妙なニュアンスの違いがあるみたいで、

”個人が「集団・党派・民族・時代」を超えようとすると
 「狂気」と呼ばわれ、
 おとなしくおさまっていると、
 今度は「「集団・党派・民族・時代」が「狂気」となる ”

とか

”狂気は個人に於いて特殊、集団に於いて普遍”

と言われています

この事件の場合は後記の解釈の方が適等と思います 

秋葉の事件のみならず、茨城の事件でも
こうした事件が起こると必ず、
犯人を特別視する傾向がありますが、
実のところ、これが人間の本性というか、
人間らしい事なのではないか?
と思ってしまうのです 

「純粋殺人の世界」
の中に書かれていた言葉と思うのですが(うろおぼえ)
「人間は善悪で判断するのではなく、
 好きか嫌いで判断する」
という言葉があります

実際に殺人までいたらなくても、
いじめなどで
自殺にまで追い込まれた人は何人もいます

通り魔事件といじめの問題を一緒にするな

という話になりそうですが、
ここで共通して言えるのは、
嫌いだから攻撃する
という事になると思います

そして対象となった相手が生きているか否かはともかく、
両方とも人を傷つけるという点で共通しています 


ただ二つの違いは、

いじめは、クラスメイト、
通り魔は、社会全体

そして間接的か直接的か?


これだけの差でしかない

と私は思うのです

だから、人間というのは、
「嫌いな奴を殺したい衝動」
誰もが持っているものと考えます 



否定できますか?

それに加えて、こうした事件は
冒頭で書いたニーチェの言葉どおり、
集団の価値観が優先されるので、
この事件が悪くなっているだけの事であると考えます 、

例えば、9.11のテロの後、
平和を掲げていた日本でさえも
社会の大半が報復戦争に賛成していました 


戦争が殺人でしかない事は日本は
前の大戦でよくわかっていたはずと思います



それを承知で、アメリカの話に乗っかって、
戦争に賛同していた人達は、殺人を批判できないと思うのです 


しかし人間の面白いのは、
アメリカの一部のマスコミが
犠牲になった女子供の写真を流すと、
それまでの態度が嘘だった様に手のひらを返しました 

この浅はかさとあつかましさには
本当に驚愕しました


だから、個人が殺人事件を起こしたのを見ても、
それが人間の生業と思ってしまうし
ただ、たまたま時代と社会がそうでなかっただけ

と感じるのです 

いかがでしょうか?


あと、こういう事件の裁判をするたびに、
マスコミで言う事はありきたりでたまりません 
大体、次になんて言ってくるのかの想像がついてしまいます 

第一に、
加藤被告が、
「記憶のない部分がある」
と言う証言からリポーターが、
「何故、記憶がないのか?真相が究明される事を願っています」
なんて言っていたけれど、

街中でティッシュを配っている人だって、
ほんの数分前に通ったのに、
私のことを覚えてなくて、また渡そうとした人がいる
ただ、渡すっていう単調作業なんか、
渡す事に専念しているから、
いちいち人の顔なんておぼえていない

加藤被告だってたぶんに、殺してやる事ばかり考えていて、
目に付いたの刺す為に人を追いかける事に専念していた
だろうから、追いかけている人の後を追うのに、
いちいち、どこの交差点を曲がったとか、
どのお店の前を通ったとか
そんなの細かい事まで記憶があるとは思えない 

そうした事をミステリアスにいちいち放送している
番組を見ると、
面白がっているんだろうか?
と感じてしまう 

また
加藤被告の裁判の報道では、
茨城の通り魔事件が上げられ比べられていて、
社会に謝罪している加藤被告に対し、
謝罪しない金川被告の意見から
茨城の通り魔事件が、
「身勝手な犯行」
と位置づけられていて、
レポーターの何人かが、
「茨城の通り魔のように身勝手な話ではなく、
 ちゃんと事件と向き合って
 真相解明してほしいと思います」
というような内容を話していましたが、
私としては、
殺人はもともと身勝手さから起こる事ではないのか?
と思う次第で。この言葉自体がこっけいに聞こえて、
ただ、何にも考えないで社会的にありきたりな言葉を
言っただけだな
と感じました

どうでしょう?

また、今回の報道で、
心証のいい人間、もしくは(今の)社会の価値観に
共感している人間の言う事はきちんと聞いても
そうでない人間の言う事は
聞き流す社会性を再確認し、
「真実を明らかにし対策をねる」
なんて事は、
はっきり言って無駄と思ってしまいました

しかも、はっきり言って
事件供述なんていっても
世間で言うとことの、ただの、
「いいわけ」
でしかなく、

そうした
「いいわけ」
を何万回聞いたところで
「死んだ人間は生き返らない」
という事実をどう捉えるのか?

また、
「謝った」
ところで、
「死刑」
担ったところで、
「死んだ人間は生き返らない」
と言う現実にどう向き合うのか?

そういう部分がかけていて、
報道で話している内容が、茶番に聞こえ、
また、無名の評論家をはじめ、心理学者や精神分析医が、
ここぞとばかり、名を売るために話をしているだけに聞こえ、
今回の事件をきっかけにして
決定的な
「通り魔殺人」
という事件に対する対策と抑止力には繋がらない
と考えてしまった 

また、何年か後に同じ事件が繰り返される事でしょう 

まあ、
どんなに
「殺人が悪」
と言っても、
「死んだ人間が生き返らない」
という決定的な、人の貶め方は
言葉よりも真実であるのだからしょうがない

サスペンス劇場で言う奇麗事も、
名探偵コナンでコナンがいう奇麗事も、
実のところ、どんなに言っていても、
死んだ人間を生き返らせれないいじょう、
殺人の前では言葉は無力
でしかない
と思っている 

だから、人を手にかける
というのは人の足元をみた、最終手段の、
やり方で
諸刃の剣ではあるけれど、
こんな決定的な方法をしない奴が出てくるはずがない
と私は考えていますが

どうお考えですか?





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最終更新日  2010.01.31 02:56:13
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