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マンハッタン狩猟蟹の逃げ場

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2008年05月20日
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カテゴリ:2008年04~07月読書
[1] 読書日記


   <今われわれが享受している「ふつう」は、何のかのといいながら、親世代がふつう
    以上に努力してくれた蓄積のおかげなのであり、決してふつうに過ごしていて天から
    降ってくるようなものではない。そして今、日本はそんなかっての貯金を使い果たし
    つつある。というか、国庫をみれば、実は「豊かさ」なんてなくて、すべては借金の
    上に成り立っていたのである。
    この状況下で「努力しない」というのは、「淘汰して下さい」と言っているようなも
    のだ。


   長山靖生 「不勉強が身にしみる」(光文社新書)

   

  を読了。

  例えば、ゆとり教育。

   <学校の週休二日制は、生徒にゆとりを持たせるためではなく、公立学校の教職員
    という「公務員」の勤務時間短縮のための制度改革だった


   <学習内容が減ったからといって、教育時間もいっしょに減らす必要性(必然性)は、
    どこにあったのだろう。これでは結局のところ、学校における一時間当たりの学習
    濃度は変わらないではないか


  道徳教育、人格教育ならば、

   <「学級崩壊」をきたすのは、躾よりも勉強を優先した結果ではない。躾も教育も
    ないがしろにされているから、見事にそのどちらも身につかないだけなのでは
    あるまいか


   <だいたい自分の子供もろくに監督できない人間に、どうして学校の監視、監督、
    助言ができようか。それが出来るくらいのしっかりした親、社会的な発言力もある
    ほどの人物なら、そもそも今時の公立学校に子供を通わせてはいない


  何かを信じるという行為は、

   <信じるというのは、善良な行為ではなく、思考の停止である。考えるのをやめに
    して、あとは他人の意見に身を委ねる。それが「信じる」ということだ。そして
    しばしば、安易に信ずる者は、被害者になるばかりではなく、加害者にもなって
    しまう


   <「分かる」を諦めて「信じる」に移行するラインが、すべての人間に存在する。
    誰でもすべて「分かる」ことができない以上、理解力の限界の先は、他人の説明
    なり、何らかの世界観なりを「信じて」納得するより仕方ない


  当たり前といえば、当たり前のなことでもあるけれど、勉強になりました。





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最終更新日  2008年05月20日 21時25分26秒
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