ニャー と ニャー
実家の母が 二日ほど留守にするのでニャーの様子をみに行った昨日。夜 寒かったし。寂しかったと思うけどちゃんとご飯 食べてお日様にあたって寝てました。‘おりこうさん’というより‘男らしい っていわれたい僕’は おかげさまで元気。拾ったのは私。そろそろ1年になるでしょうか。家で飼えないなら連れてこいといってくれた母に頭がさがります。今こうして 可愛がってくれているニャーは実は二代目です。20年以上前 野良から外でご飯を上げるようになった初代ニャーは後ろ足に障害をもち 自然に歩くことができませんでした。満足にご飯が食べれないと思った家族のだれかがちょっとずつ 煮干しのなんのとあげるうち家に上がるようになったのですが年だったのか いつもお尻にちょっこし運著をつけたままで いつも臭い臭いと無理やり風呂につれていく母は実は あまり猫が好きではなかったようです。それでもよく面倒みてくれたのです。近所からの苦情もあったので肩身の狭い思いをさせました。ニャーもそのことを知ってか私の側にいることが多かったのですが。なので ニャーが数年後に姿を消したときは もう生き物を飼うことはないと思ってました。そんな母が 里親が見つかるまでと 期限つき?で面倒をみてくれることになりいつの間にか うちの子、うちの子 とよしよししてくれるのを見ると何もいいませんが一人の寂しさが紛れて これはこれで好かったのか…と 勝手なことを 考えてしまう。都合よすぎですよね。いつまでも迷惑かけてごめんなさい。先月 仕事帰りに 車に轢かれた子猫を見つけたらしい。首をもたげたその子はニャーに 色柄そっくりで 放っておけず連れて返ってきたそう。病院はすでに閉まり 明日一で連れていこうとタオルに包み 箱にいれた。‘助かりますように’なんど願ったことか。少しして 子猫の箱をのぞいたニャーが今まで聞いた事も無い奇声を 3回上げたそのとき子猫は死んでしまった。あのとき 何を見たの? ニャー。母とニャーの間にはそんな切ない出来事が あったらしい。一月して 話せた 悲しい話を聞き一人と一匹 家族になっていつの間にか支えあっているのだと 教えてくれたような気がしたのでした。大島弓子さんの ‘グーグーだって猫である’の話の中でこんな事が書かれてあったと思う。‘現在飼われている猫は今はいない先代猫に 守られているようなものだ。あのとき やれなかったと後悔したことを今の猫に してあげることが出来るから’一生懸命ぶるぶる震えながら歩いてた白雉のニャーちゃん。あなたのおかげで ニャーとミィは元気ですよ。ありがとう。