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お(_ ̄Дは(_ ̄Дよ(_ ̄Дう(_ ̄Дぅ(_ ̄Д ̄)ノで、ゴザイマス!!
今日も太陽は私を照らし、希望の光を差し伸べているかのように窓辺からの陽光にポワァァン♪今日はサヤワヤな朝を迎えました(人´∀`).☆.。.:*・°朝一番に我が家のわんことお散歩、そしてお布団を干し、洗濯、お掃除、一週間分の食料調達しに地元のダイエーに行ってきてはあれこれ大忙しデス。今ふぅ~( ´ω)_皿お茶を飲んでマッタリしています。さて、今回は【Guamで起きたおかしな事件簿】というかGuamで起きたちょっと考えさせられた体験のお話デス。 ※このお話は過去を振り返って、当時の思い出を綴っています。 忘れもしないあの日99年初めてのGuam旅行で、その翌日に現地のOPツアーで島内観光で現地ガイドさんと1日かけてGuamを巡っていた時の事デス_φ(・ω・` ) ①【タモンエリア】 恋人岬→サン・ビトレス記念碑→グアム動物園 ↓ ②【イパオエリア】 イパオビーチ→イパオビーチ公園→Guam政府観光局 ↓ ③【ハガニャエリア】 大酋長ギプハの像→パセオ公園→自由の女神像→チャモロビレッジ→ジャマイカン・グリル(ランチタイム)→スペイン橋→聖母マリア大聖堂→スペイン広場→チョコレートハウス→ラッテストーン公園→知事官邸→アプガン砦ってふうに順番に、そしてGuam南部→Guam北部→ってふうにGuamの見どころを観光しました。昔1941年、日本軍は【ハワイ真珠湾】のアメリカ軍を攻撃し太平洋戦争が勃発、開戦からわずか3日でGuam島を占領した事から、日本軍と米軍との激戦の末、日本軍死者約20000人、Guam島から日本軍を退けたにも関わらず日本本土の都市を次々に爆撃、東京大空襲、テニアン島から出撃したB29爆撃機によって広島&長崎原爆投下の悲劇を生じる事になってしまいました。Guamには当時の日本の統治時代の面影があちこち史跡&旧跡((旧日本軍の砲台やその残骸など))が生々しく残っており、凄まじい激戦であった事が伺えます。 ☆【Guamの戦争】リンク ☆【Guamの歴史】リンク ☆【北マリアナ諸島の歴史】リンクにて、ご覧になれマス。 横井ケープ、南太平洋戦没者慰霊公園なども回りました。当時、私達はまだ学生でまだ青かったというのは見苦しい言い訳ですが・・・Guamの青い空と青い海を目の前にして、Guamの悲しい歴史に関して正直なところピンと来なく、見るものすべて信じられなくて「へぇ~」って感じで受け止めていたのデス。私達としては島内観光はこういったものではなく、ショッピング巡りだと思っていたので現地ガイドさんの語るGuam歴史に対して『早く終わらないかな・・・』と内心思ってしまったのデス。興味本位で軽はずみな行動をとってしまったのデス。日本では博物館などで見られるものがGuamではいたる所にあったので「すごーい!!」「信じられなーい!!」と、そういったものをバックにして写真を撮ったり騒いでしまいました。その時、異変が起きたのデス。友人がこのGuam旅行ために購入したカメラがこの時なぜかシャッターがおりず、撮れなくなったのデス。いったん電源を切ってONしてもつきませんデシタ。「電池切れ?まっ、いっかぁ。使い捨てカメラあるし」って私達は全然気に求めていなかったのですが現地ガイドさんに、 「アナタタチハ オコラセマシタ」 と言われて「えっ!?」と意味が分かりませんデシタ。それは警告であったとその日の夜中に気がついたのデス。島内観光が終わり、夕方ホテルに戻った時に異変が起きたのデス。夜出かけようとお部屋でシャワー、オメカシ、着替えとかでキャーq(≧∇≦*)(*≧∇≦)pキャー、初めての夜遊びというか夜のGuamに胸を踊らせていました。すると突然お部屋中のライトがパッパッ点滅し始めプツンと消えたのデス。最初は故障?と思って気にしないでお部屋を後にし、いざタモンエリアに出かけようとホテルを出たとたん友人が頭を抱え込み「頭が割れるように痛い・・・」と不調を訴え、仕方がないのでお部屋に戻り、友人を横に寝かせて自分達もウツラウツラ(*_ _)。o○し始めた時、突然うめぎ声が聞こえたのでハッとして隣に寝ていた友人に目をやるとずっと「ゴメンナサイ...ゴメンナサイ...」とつぶやいてうごめき、ビックリして友人をたたき起こしてもピクともせず、友人の顔は苦痛でこわばり体は硬直し、引きつけを起こしていてとても異常な光景デシタ。その時もう1人の友人がカバって起き上がって私のところに飛び込んできてガタガタ震えていました。私は霊感がないのですがさすがにこの雰囲気はタダゴトではない!と大パニックになり、友人を一生懸命起こしました。するとカバって起き上がった友人はものすごい泣きまくって「さっき兵隊さんがいっぱい来て・・・」と動揺のあまり口がもつれて怯えきっていました。もう1人の友人もそうだと言うのです。私まで怖くなり、お部屋を飛び出し深夜にフロントに駆け寄ってお話すると日本人のフロントさんが一緒にお部屋に来てくれて「こりゃ」と黙り込んでしまいました。どうやら連れ込んちゃったみたいで・・・ 【フロントマンさん】「明日、一緒に謝りに行きましょう」 と言われました。私は何が何だか分からなかったけれど、友人達はこのフロントさんの言葉に痛感し身にしみたそうデス。翌朝そのフロントさんと一緒に車に乗せてもらって南太平洋戦没者慰霊公園へ、謝りに行きました。「ごめんなさい」と口先だけの私達を見るに見かねたのか、フロントさんはものすごい剣幕で怒り、この戦争は誰も望まない戦争だったと、Guamの悲しい歴史を切にお話されて自分達のした事がどんなに愚かだったと自責の念に耐えず、すっごく涙が止まらなくて私達は手を合わせて本当に心からごめんなさいと謝りました。Guamには虐殺されたグアム島住民チャモロ人、太平洋戦により巻き込まれたグアム在住の邦人、現地住民、この激戦によって日米軍ともに約200000人以上の魂が眠り、精霊となっていたる所に宿っているそうデス。現地の人は彼らの勇気と犠牲を讃え、崇め、このGuam島の美しい自然環境に全力の日々だそうデス。Guamの人があんなに自然と溶け合い自然と共存し、時には自然に話しかけたりする仕草を見せたり、お花や樹木や自然の産物を分け隔てなく慈しみ、育んでいる理由が何となく分かったような気がしました。 【Guamの名所スポット】Guam-Agana様のHPリンクにて、Guamの名所を画像にてご覧になれマス。(*- -)(*_ _)ペコッ from:カキカキ_φ(* ̄0 ̄)ノ【ビリア】ペタッ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004.01.17 13:59:42
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