南州遺訓を読む
書棚の整理をしていたところ、先年鹿児島旅行の折に購入した西郷南州遺訓が出てきたので休日を利用してゆっくり読んでみた。 南州神社授与所で購入したもので、口語訳だけでなく、詩歌も多く掲載されていて読みごたえがある。 さすがに、今では古くなってしまったところもあるが、大部分は今の世の中にも当てはまるような内容で驚かされる。 (南州神社にて)八の「広く各国の制度を採り開明に進まんとならば、先づ我が国の本体を居(す)ゑ風教を張り、然して後徐(しず)かに彼の長所を斟酌するものぞ。否(しか)らずして猥りに彼れに倣ひなば、国体は衰頽し、風教は萎靡(いび)して匡救(きようきゆう)す可からず、終に彼の制を受くるに至らんとす」など今の日本そのまま…。 その一方で十二では西洋の刑法の特別予防的な配慮などに「実に文明ぢやと」感心し西洋の良いところはしっかりと取り入れようとしているのはやはり凄いところなのだろう。 (西郷南州の墓。) 遺訓というと教訓めいた話ばかりなのかと思っていたが、財政や会計についての言及もあったりしてなかなか面白い。 特に一四の「会計出納は制度の由(よつ)て立つ所ろ、百般の事業皆是れより生じ、経綸(けいりん)中の枢要(すうよう)なれば、慎まずはならぬ也。其の大体を申さば、入るを量りて出るを制するの外更に他の術数無し。一歳の入るを以て百般の制限を定め、会計を総理する者身を以て制を守り、定制を超過せしむ可からず。否(しか)らずして時勢に制せられ、制限を慢(みだり)にし、出るを見て入るを計りなば、民の膏血(こうけつ)を絞るの外有る間敷(まじき)也。然らば仮令(たとい)事業は一旦進歩する如く見ゆるとも、国力疲弊して済救す可からず。」などはまさに赤字国債で誤魔化してきた日本の未来を語ってるようだ…(西南戦争の最期に籠もっていたとされる洞窟) 私が一番心に残ったのは二十五の「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを尽し人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬ可し。」との言葉。この言葉を胸に生きていきたい。 (城山公園より桜島を望む) 西郷の偉大なところは、実際にそれを実践したことなのだろう。口でいくら立派なことを言っていても、それを実際に行うということはやはり難しい。 この遺訓が、薩摩藩の者によってではなく、幕府側に立って官軍と戦いながら西郷の寛大な処分で救われた旧庄内藩の藩士たちによって広められたことでもそれがわかる。(これで私も西郷に変身!)