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君が望む永遠

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鳴海@孝之

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2010.04.26
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テーマ:REDSTONE(3572)
カテゴリ:赤石


仕事ですが、定時まで手持無沙汰です。

エミュ鯖の記事書こうにも、SSがないからネタが思い浮かばん!

よって、ネタがないときは回顧録だ!


グッドアフタヌーン、鳴海です。

と、いうことで、久しく忘れていたREDSTONEに想いを込め、回想録でものっけようと思います。

ほぼ思いつきのまま書いてる為、文章における訂正などはしていません。

また、記憶のみ辿ってるため、色々誤りがあることでしょうが気にしないでね^^



思えば、私がこの手の記事書いたら大抵続かない気がします。

よって、今回は深く考えずにスラスラ書いていこうかな、と。


cβ初日からやっていて、こんなブログまだ読んでる奇特な人なんて滅多でしょうし、

気楽に書いていく所存でございます。


では、どうぞお読みください。

懐古厨・鳴海さんが手がける、渾身の回想録でございます。






序章 全てのはじまり


全ての始まりは、2004年の夏だか秋に届いた、ある一通のメールでした。

それこそGameOnのメール。

内容は、REDSTONEcβ募集だったかと思います。

対象者は、それまでにゲームオンが運営していたMU・クロノス・天井碑を

過去にプレイしたことがある(ID登録している)人だったのかな?


MUとクロノスをやる為に、ID登録していた私にも勿論届けられたのでした。

最初は興味もなかったのですが、後に友人から誘われて応募することに。で、見事当選。

まぁ、その友人はcβ二日目くらいでログアウトしましたけど。

振り返れば、あれから約5年…。あの時はまさか、

私がここまで長続きすることとは予想もしていなかったでしょうね(笑)



とにかく、私とREDSTONEの永い付き合いはここから始まったのだった。







第一章 はじめてのれっどすとーん


2004年12月21日。

cβはこの日から始まりました。


当時、公式サイトなんて影も形もなく

そもそも、ネトゲ自体が今とは比にならないほど一般化されてない時代でしたので

事前に情報を仕入れているサイトや、攻略Wikiなどの概念もありませんでした。


よって、唯一の情報源は不定期的に運営より送られてくるメールマガジン。

赤石が始まったこの当時、全体MAPや各種ヘルプガイドなんて便利機能はなく

課金すら未実装で、狩場においてもコロ(廃坑B9?)すらない時代。

100↑のダンジョン及びマップは封印されており、ワープできない状態なのです。


また、今ではキャラ作成すると学問の家から始まってチュートリアルを受けることとなりますが、

当時はキャラ作ったら古都のどっかにほっぽりだされ、

操作方法もよく判らないままゲームが始まることになります。


クエストにおいても、NPCの文章がエキサイト翻訳で訳したかのように支離滅裂で、

酷いものになると文字化けして読めないものもありました。

メインクエストなんて存在も、ありません。 称号クエの大半は未実装です。


また、これはどのネトゲにもいえることですが、オープン当時はサーバーが非常に重く、

ワープポータルに入った瞬間サーバー切断なんてこともザラでしたね。

その前後にPTを組んでる場合、サーバー切断されて戻ってくるとPT解散してる、

という事もよくみられました。


そんな状態で、更には一部スキルによって鯖が全落ちするという致命的すぎるバグなどもしばしば。

…こうして振り返ってみると、我ながらホントよく続いたもんですよね。

赤石のゲームシステムとチャット環境が秀逸でなければ、ここまで続かなかったかなと思います。


鳴海さんが赤石に釣られたのは、勿論友人の影響もありましたが

一番でかいのはSFCのようなグラフィックによる2D MMORPGってのもありますね。

グラはしょぼいけど、

各ジョブの変身システムやスキルなどは作り込まれてる印象を受けていました。




そんな印象がありましたから、キャラ作成画面で驚愕。

そこに写ってるのは、ドット絵ではなく綺麗な女の絵!(笑)



そう、鳴海さんはこの時初めて、

今となっては有名すぎるランサーの絵を目撃することになるのです。


よく「なぜREDSTONEをはじめたのか」のような話題になると

絵で釣られたという回答が多いんですけど


前述した通り、当時cβには公式サイトもなければ、

MSNメッセンジャーやニコニコ動画など各サイトによる広告もない時代です。
(ていうかそもそもニコ動自体がなかったねw)



私は最初ウィザードをやるつもりだったのですが、絵に釣られランサーを選ぶことに!


ちなみに、当時選択できるジョブは剣士/戦士、弓/槍、Wiz/犬の6種でした。

ROやDiablo経験の鳴海さんとしては、ウルフマンという存在が興味深かったので

犬に変身できるという点を考慮しても、Wizという職業が

メリットあるんじゃないかなと思っていたんですよね。

しかし、絵に釣られランサー! やっぱり二次元って最高だよね。


また、選択できるサーバーも赤のみでした。



これがcβ時の弓グラ。今よりだいぶ劣化していますが、あの当時ではかなり綺麗な印象です。
ちなみにゲーム時において隼さんの絵が拝めるのはここのみでした。




そして古都に降り立つ鳴海さんとその友人一同。

思ったよりもずっとゴムバンドオンラインで、早速萎えたのは覚えてます。

走る歩くの切り替えや座るなどの各種行動キーは、

適当に押してれば切り替わったので記憶にインプット。


最初に思った疑問が、古都の広さでしたね。

ミニマップがあるとはいえ、当時はマップ上に判り易いアイコンなんてものはなく

クエストNPCだろうが雑貨屋だろうがなんだろうが全部緑色の点で表示されてました。

虱潰しに全てのNPCに話しかけようと思っても、

鯖は重いわすぐ落ちるわ…というか

絵とキャラグラの劣化具合半端ないって感じで悪い印象ばかり。


今となっては名物化している、初心者クエの代表格病気のコボルト服収集クエ
(ファファファファーガソンwwww)の影響下で

西口の混雑具合と、横殴りの激しさがすごかったですね。


しかもこの頃は、クエストは何回でも受けれるタイプでしたので、

古都は早朝だろうと鯖落ちが当たり前なフィールドでした。



そんなわけで蜘蛛狩りながらひたすら古都から南下するのですが、

確か行き止まり(テレット以降未実装)で、急遽東口で狩ることに。


途中何度も落ちてPT解散して組みなおして、

そして次第に友人達がログアウトして結局残ったのは7人中2人というありさまで。


井戸の存在知る前にアルパスのポタへ向かい、鷲と斧戦士にぶち殺されて初めての街戻り。

戻る最中やっぱり鯖落ちで、しかもインできなくて1時間くらいログインゲーでした。


ダンジョンは早いってことで、ひとまず古都以外の街探そうって話になりずっとずっと東へ。


そして辿りついたのが鉱山町ハノブ。

βから2005年秋頃まで今でいうアリアン並に栄えることとなる重要拠点です。


勿論、この時は人っ子一人いませんでした。

もしかすると、ハノブに初めて降り立ったのは鳴海さんがたなのかもしれませんね。


こんなかんじで、初日はマップの情報を把握するために、古都周辺を重点に、

ハノブ~アウグスタまでぐるぐる回った記憶があります。


受けれるクエは全部受けました。二日目はこれらを消化しつつレベル上げ。

ファーガソンだとかコボルトだとかはすっ飛ばして、

初めてクリアしたのが当時2chだったかしたらばで話題の噂の確認(井戸)クエ。


Lvはなんだかんだで20手前までいってましたので、

沼地洞窟のクエだとか蜘蛛の糸を収拾するクエ、

あと名前忘れたけどOPつきの槍を報酬で貰えるクエやってました。



キャラの方針は無論力極

勿論お察し紙もいいとこです。お客様は紙様です。


Lvが上がるごとに敏捷が1上がってたのに早くから気づけたおかげで、

Lv5上がるごとに健康1振るみたいなステ振りだったかもしれません。


スキルはなんかワールだったか旋風突き?を目指してシコシコ振ってましたね。

同じ考えが多い人が多かったのか、

後にランサーの主要スキルということで旋風突きは流行りました。

しかし当時からランサーというジョブ自体が非常に少なく、野良PTでは浮きまくりでした。


cβにおける個人的な雑感としましては、一番多いのは剣士と戦士で

上位陣になればなるほどWizが多く、弓、特に槍は少なめでした。

いま思えば、槍より犬のほうが多かったな。


攻撃速度という概念はおろか、装備がまったく充実してない時代でしたので、

ランサーはソロが非常にきつかったです。

落ちるゴールドは少ないのに、POTは高いという悪循環っぷり!


その影響か、Bis実装以前の赤石はPT枠にアスヒ枠というものがありました。

そう、Wizはアスヒだけで食っていけたのです。


当時のアースヒールは今よりも消費CPは少ない上に、範囲及び回復量も甚大で、

スキルレベルを上げると獲得が上回るというチート仕様でした。

しかもWizはチリングタッチ、ファイヤーボール、氷柱、テレポーテーションなど

他にも使えるスキルが豊富で、1月にさしかかる頃にはWizが大人気でしたね。


cβ初期において、こいつ、できる…!と思わせてくれたWizは、

低レベル時の代表的スキルともなっているチリングタッチをメインに上げていて、

これのダメージ200越えを初めて見せてくれたHiD_eさん。

知る人ぞ知る高レベルウィザードです。

後の初期赤鯖最強ギルドの一角Ouroborosを立ち上げた創設者でもあります。


また、早い段階で難易度5のウォーターキャノンを習得していたプロディジーさん。

初代水鉄砲Wizの代表格でもありましたね。βに入る頃には固定PTのイメージが強い彼でしたが、

この当時はよくアジトB1のシーフ狩り野良PTで目撃していました。



私の友達も、初日の段階からチリWizをやってましたので、

クエストは非常に簡単に進めました。

ソロじゃ無理な場所も、彼と共に頑張って狩ったものですね。

この頃に、クエストが何回でも受けれることを知ったのかなぁ。

とにかく2chだったかしたらばで話題になってた

クエレザリンが報酬のなんとかの指輪クエをこなしつつ、

路上アジト強盗団2Fの廃人っぽいMobをひたすら殴ってレベル上げてました。




続く(といいネ!)





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Last updated  2010.04.26 16:17:42
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