秋の夜長の読書週間(1) 「小林秀雄」読本を読む
食欲の秋スポーツの秋芸術の秋皆様どんな秋をお過ごしでございましょう^^hakapyonは三度のメシより大好きな「読書の秋」活字の海に溺れておりまする^^1)秋の夜長の読書週間 一冊目:「小林秀雄」読本「美しい花がある。花の美しさというようなものはない」この一節でhakapyonの心をずっこーーーんと捕らえてしまった秀雄様さらに「無常という事」を読んで主観バリバリ、でもその主観がピンポイントで時代を超えてきた真実の美を捕らえている様に真(まこと)の評論っちゅーのはこれほどまでにドラマチックで胸を打つものなのかと衝撃を受けた室町時代に派生した能を観て「遠いこととは思わない。なぜなら僕はそれを信じているから」戦争についてのスタンスは「誰も殺したくないし、殺されたくない」キレのある文体ですぱっと言い切るこの覚悟・・・カッコイイ!!^0^学生時代に教科書に載っていた秀雄クン若き頃の論文「様々なる意匠」を「わかりにくい文章の代表です」と語った国語教師がいたが(^^;(確かにこの文章は・・・今読んでもわかりにくい)ほかの美や芸術に関する評論については改めて読んでみるとめっちゃめちゃわかりやすいではないですかいや、文体は硬いのですがそのかっちんこっちんの鎧のような文体の内側にある真実書かれてあることと彼の姿勢(スタンス)は単純明快目の前の美をただ見つめろ穴があくまで見つめろ見えなくなるまで見つめろそしてそれを見たひとはもちろん見ていないひとにまで見えるように伝えろこれですわ*作家・水上勉さんが亡き秀雄さんに寄せた文章があった小林秀雄さんのお父様は彼が青年時代の頃に亡くなっている数学講師を経て「日本ダイヤモンド株式会社」というダイヤモンドを研磨する会社を設立したとても厳しい方だったそうだ水上さんは小林さんの硬筆と真実を見出す眼をお父様の仕事になぞらえて「鋼鉄に穴をあげるキリはダイヤモンドの尖ったのをつけるそうだ」と述べているさらに小林秀雄さんは常日頃「職人」に対し尊敬の念を抱いていたらしい「職人がだまって何かを作っている背中が一番平和だ」と独自の平和論を述べ「彼の拇指(おやゆび)をみてごらん」と職人さんの作業によって変形してしまった手にそのひとの仕事と人生を見出す優しさ物事をありのままに細部まで看破する研ぎ澄まされた眼ダイヤモンドのように時を経てもなお、美しく生々しく輝く小林さんの文章にどうしようもなく共鳴し惹かれてしまうその「秘密」をここに垣間見たような気がしたそして小林さんが「実朝」を語る口調がまるでその時代を生きたかのように生々しくてほの哀しかったのは彼が実際に「鎌倉」に住んでいたからに他ならない(←なんたる単純な^^;)実朝らが生きた中世の光と闇の濃い空気感をいまだに生々しく残す場所で小林さんは志半ばで夭折した友達を思うように実朝を思ったのだろう「なぜなら彼はそれを信じているから」*小林秀雄さんは現在鎌倉・東慶寺に眠っていらっしゃる・・・やはり鎌倉いかねばなるまい(←またですか(^^;)でも東慶寺って「縁切り寺」じゃなかったっすか??縁といえばhakapyon昔、偶然にも曽根富美子さん作の(←このヒトの書く漫画がまたスゴイのよ)中原中也と小林秀雄の青春時代を描いた漫画を読んでいるのだひとりのオンナを奪い合い才能溢れる天才と才能がわかる秀才が切磋琢磨しながら、火花を散らす青春時代(←実話です^^;)才能とまっすぐ(すぎる)生き方への憧れと嫉妬それはアマデウスとサリエリの如しそしてひとり生き残ってしまった秀才はその後あの、あまりにも有名なト短調のソナタを「疾走する悲しみ」と表現した「モオツアルト」を執筆するのであるちなみにこの「小林秀雄」読本をめくるとまず最初に目に入る作家の名前は「吉原御免状」の作者・隆慶一郎東大仏学科出身で小林の後輩だった隆さんは小林さんに弟子入りを請うている彼のデビュー作「吉原御免状」も小林さんの生前は「ダイヤモンドの尖ったの」が怖くて書けなかったのだそうだ(^^;(小林没して誠一郎アリ・・・合掌(人)ナムナム )ダイヤモンドがいかようにして「吉原」を看破し、研磨するのか読んでみたかったような気もするこの本を大阪で購入した10月22日が舞台「吉原御免状」の前楽の日であったのも何かの縁なのだろうかさらに、縁は奇なもの本を読んで後に知ったのだがこの10月22日は中原中也の命日でもあった