寒さが続いて思い出すのは帯広での冬
ようやく寒さの底を通り過ぎたかのような日差しの暖かい日が戻ってきましたが、あと2週間ほどは寒い日が続くとの予報が出て少々がっかりしています。こんな時、足腰の弱ったおばあさんはもっぱら家の中で暖房のお世話になって静かに過ごしています。寒くなると思い出すのは若いころに過ごした北海道での生活。夫の転勤で帯広と札幌で11年間過ごしてきました。特に寒さといえば、北海道の内陸、十勝の帯広。「おはようございました~。」「お晩でした~。」となぜか過去形のあいさつで現れる大家さんが寒い時の注意事項をとくとくと語ってくれたのが懐かしいです。1. トイレの汲み取りは11月中に必ずやっておくこと。2. 冷蔵庫は冬こそ活用すること。3. お風呂のお湯は入り終わったらすぐに抜いておくこと。私たちが引っ越していったのは5月のゴールデンウィークが終わってからだったので、せっかくの注意事項は頭の片隅に残しただけ。5月だというのに帯広の市内には汚れた雪が道路わきに残っていて、何だか薄汚れたさみしい所に来てしまったというのが最初の印象でした。さすがに道路に雪はなかったので、行ってすぐから車の運転をしましたが、雪はフワフワ、シャリシャリしているものと思っていた私が甘かった!狭い道の曲がり角でガリガリ・・・と音がしたと思ったら車の側面をこすってしっかり傷をつけてしまいました。ああ、私の知っていた世界と違う場所なんだ、と認識した瞬間でした。半年後、いよいよ寒さがやってきて、大家さんの注意が身に染みてわかるようになりました。当時は汲み取り式のトイレだったのですが、便壺がやたら深くて大きいのが気になっていたのですが、寒さが続いて納得。長い冬の間の分を全部ためておかなければならないのですから当然ですよね。そして、真ん中に次第に山ができて、その山は日ごとに高くなり・・・このまま行ったらどうなるのかと心配した私は沸騰したお湯をかけてみたのですが・・・・・・思い出すとあの臭いがよみがえってきます。ある朝起きて廊下に出てみたら、廊下中がツルツルのスケートリンク状態!せっかく注意してくれた大家さんの言葉を忘れていたのです。犯人は廊下の隅に置いてあった中身の入ったビール瓶でした!洗濯物は晴れたときに外に干す、というのがそれまでの私の常識。その通りに帯広でも続けていたらご近所さんが「内地の人って、洗濯物、外に干したがるよね。」って。「ん~?」寒くなってきてこれも納得。 見た目がどんなに晴れていても干した洗濯物は時間がたてばそのままの形でガチガチ、ゴワゴワに凍り付いてしまうのでした。お風呂に関しては我が家では結構遅い時間に入っていたので、大家さんの取り越し苦労になりました。夜中に目覚めると遠くの方で「カ―ン」と乾いた高い音が響いてくることがあったのですが、厳しい冷え込みの夜には樹木の中の水分が凍って、木に割れ目ができる時の音なのだそうです。今私は北の大地に寝ているのだなあ、としみじみ思った帯広の冬の夜でした。当時小学生と幼稚園児だった娘たち、十勝の子供たちは小さいころからスピードスケートに親しんでいるので、最初はだいぶ苦労もしたようですが、次第にお友達もたくさんでき、スケートもスキーも人並みに楽しめるようになりました。帯広の幼稚園と小学校はスピードスケート、中学校は女子はフィギュアスケート、男子はアイスホッケー、札幌ではスキーが正課になっているのです。「誰に何を誘われても断るものがない。」とは大学生だった娘の言葉。スキーだって、スケートだって、もちろん飲み会だって断る必要がないのは、極寒の北海道で 内地ではできない経験をたくさんさせてもらったおかげかもしれません。北海道の冬を思い出しながら…おやすみなさい!