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テーマ:障害児と生きる日常(4430)
カテゴリ:障害の話
原因は、誰でもかかるロタウイルス。 宝くじに当たるより低い確率。 長かったようで、あっという間だった気もします。 トラッキー時計 まさか、こんな障害を持つなんて思ってもいなかった、一年と一日前。 トラッキーになるのが夢だったボンは、大阪ドームでトラッキーに声援を送ってました。 でも、その次の日、痙攣をおこして、ICUに入れられたのが、一年前の今日。 その時は、喋れないくらい構わないから、生きて帰ってきてほしいって、そう願ったんですよね。 まさか、本当に喋れなくなるとはね。 三割以上が亡くなる病気。 三割以上が重度の障害を持つ病気。 全く後遺症が出ない子供は二割に満たない(らしい)病気。 ま、後遺症なんて、人によって、基準が違うから、アテにならないけど。 それでも、生きて帰ってきたわけで。 だから、今のボンがいるわけで。 始めの痙攣で、救急車で病院に運ばれたボン。 念願の救急車なのに、意識もなく。 もちろん、ボンの記憶にはありません。 熱性痙攣という医者に、違うやろ!と言った父ちゃん。 父ちゃん、この歳になっても、何年かに一度は、熱性痙攣起こすからねぇ、さすがに雰囲気で違いは、わかります。 でも、とりあえず様子見で家に帰って。 二回目の痙攣で、これはヤバいと。 点滴やら、チューブ、機械をいっぱいつけてもらってICUに。 ICUに入ってから、脳の浮腫が確認されたんですね。 かなり危険な状態。 ベッピンさんの女医さんのおかげで一命をとりとめたボン。 ベッピンさんだから、頑張ったのかな。 わかりやすい。 後から、小児科医の友人にカルテを見せたら、マジで運がよかったと。 二回目に運ばれたときの状態なら、普通、今頃、この世にいないと。 ボンの生命力の強さ? 最初の診断はともかく、二回目に運ばれた担当医の機転がよかったらしい。 同じ病院で医師が違うだけですけどね。 しばらくして、脳の腫れが治まると同時に、脳の萎縮が始まって、いろんな機能が失われていったんですよね。 でも、今思えば、幸い?二割くらいの萎縮だったんですよね。 「障害児なんだ、うちの子」って言えた、おやじたち 退院時は、勿論、話も出来ず、感情もなく、ヨダレを垂れ流し、ただ、ぼーっとしてるだけ。 動けば奇声を発して飛び跳ねるだけ。 どないなってん? 壊れた? ヒメに言わすと、全部忘れるランドへ旅立っちゃった、と。 そんな日が一月くらい続いたのかな。 それでも、無理矢理、散歩に連れだしたり、他の子供達が遊んでいるのを見せたりして、楽しく過ごして、少しずつ回復を促したのかな。 症状の改善が見られ出したのは、海に行き始めた夏の始め頃かな。 海って、そういう力があるのかな。 落ち着きが出だして、自分からいろんな行動をしだしたのは、この頃。 この頃、声が出だしたのかな。 6月になってたから、三ヶ月くらいかな。 夏の終りには、パパ、ママって、言えたのかな。 それを聞いた海の家の駐車場のおばちゃんを号泣させたボン。 こんな歳から、女性を泣かせて。 これが半年くらいのこと。 それから、ちょっとずついろんな声が出だして、数語話せる?ようになったのが、今。 その間にボン語のジェスチャーで会話することを覚えたんですよね。 一年で、ここまでの回復。 主治医の先生は、よくここまで回復したと。 数年かかるはずだったのにと。 特に、内面的な成長は、びっくりだと。 言葉のほうは、もっともっと時間がかかるようですが。 まだまだ、何年もかかるよ、って。 ふたたび楽しく生きていくためのメッセージ 脳症って、よくなるばかりじゃないから。 時間がたって、症状が悪くなる子もいるから。 一年間、進歩のない子も多いから。 でも、ボンはちょっとずつでも上向き。 それも、脳症としてはありえないくらいの上向き。 上向きが続けば、嬉しいね、って。 ボンくらいの萎縮で、完全に回復する子は、稀だそうです。 じゃあ、稀に入れば、いいやん。 厳しい病気ですね。 でも、毎日、頑張ってるもんね、って。 だから、ここまで回復したんだね、って。 同じような病気のみんなの希望になるように、もっと頑張ろうね、って。 回復の事例が、多いと励みになるから、って。 ボン、責任重大。 絶対、元通りに回復してやる。 毎日、ボンからは、そういうオーラが出てるから。 やる気のボンだから。 きっと、近い将来、回復してくれてますよね。 この日記が、いろんな病気や障害と闘うお友達の励みになればいいな。 リンクご希望の方は、声をかけてくださいね、歓迎です。 ポチッとひとつ、くださいな。 ついでにコメントも、歓迎です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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