春のみこし
卯月4月 春風ふいてどこかで 春がうまれてる昨日は宮普請(みやぶしん)あさ8じからお宮さんにいって4/9,10の祭のための準備をした拝殿の掃除やいろんなお飾りのための竹や榊を山に行ってとってきたり子供神輿(こどもみこし)の組み立てをした山上7組から2人づつ14人の役員=宮議員みんなで前の祭の写真を見て組み立てることしから2年間は宮議員在所の組とお宮さんをつなぐ役目いちばんの仕事が春の祭の運営ですこんなんやってるとバリ島のこと思い出すバリヒンズーの宗教儀礼を中心に人々の生活が営まれてること神へのささげものとして絵画/彫刻/舞踊/音楽があることガムラン音楽/バリダンス/ケチャ/朝夕のお供物・・・祭を営むことが即 生きることみんなが村落単位/各家単位の宗教儀礼に集約されて生きることで調和がとれてる・・・うらやましく思たなー---------------------柳田民俗学にしたがうとニッポン人のくらしもそーやったんやろなぁ祭はすべての『芸術』の原初的母体ふつーの人がハレ=非日常の空間=祭でだけ『芸術家』になる畑たがやしてたオッチャンが横笛の名手としてアーティストになりかまどで飯焚いてたオバチャンがお多福の面をかぶってパフォーマーになり上の世代が各種の伝承をなして村落構成員のすべてがかかわって祭をまつるそーやって『神』と交歓することで『自然』をなだめ『農の恵み』を受けようとした祭は非日常な祝祭の場なので日常にゆるされないことが許された飲酒/饂飩・・・手のかかる食物をくちにすること晴れ着を着ること/踊ること/唄うこと/はげしく笑うことふつーの人が祭のひとときだけ表現者=芸術家たりえたそーやってハレの日=非日常を祝福することでケの日=日常=労働の日々を再生したんですね祝祭の時間としてピリオドを打つことで労働の日々が生まれ変わるんです-----------------でも世の中がすすんで農の生産性があがって余剰がうまれて商業が盛んになり都市が発生し『貨幣経済』が発達すると・・・やがて職業的にそれを行なう者が専門的『芸術家』になりやがて大衆芸術と純粋芸術に分岐する大衆芸術はやるのは職業的専門家 受けるのは大衆=非専門家音楽でいえば歌謡曲 絵画でいえばポスターの美術なんかがそー商業主義と結びついてる 売るための表現純粋芸術はやるのも専門家 受けるのは鑑賞評価する訓練を受けた専門家現代音楽なんか批評家しか聞かんでしょ現代美術もしかりでもここが表現の前衛=思想的営為としての実験室(ラボ)です---------------------- でも分かれる前はふつーの人が祭の時だけ芸術家になりそれを享受するのもふつーの人やったやきものはおんなし技術で現代陶芸=表現にもなりおんなし技術で工芸=ふつーの人の暮らしの道具もつくれる湯のみとか皿とか鉢とかやきもの屋は職人と芸術家をいったりきたりする仕事ぼくは前者に足場をおいてるんで・・・さ 今日の仕事しよー、っと。