♪ 表現の
自由は何をもたらすや
自由は時に足かせとなり
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友人知人の作品を観に、県の芸術文化センターに行って来た。
一つは「主体美術」展。
正直、この団体の主義と方向性が分からない。「自由美術」から独立した経緯も良く知らないが、一貫して流れているものがなく何でもありの様相だ。
行動美術協会と合同で、「作家にとって公募団体とは何か」の問題にとり組んだりし、「デッサン会と研究会を定例化し、研究面では文化・社会などについて広く現代の創作営為に関連する問題の提起を試みたり」しているが、イマイチ明確なテーゼが伝わってこない。
作品のレベルにも差がありすぎで、先ずは「数有りき」のお体裁を感じてしまう。
それに比べて、もう一つの展覧会「表現者たち」展は、タイトル通り表現したいものを自由に表現するという単純明快な「表現者」の熱気があふれていた。今年で18回目を迎え、創立メンバーとして参加していた事があるだけに愛着もある。
メンバーは随分代わっていて、当初から参加しているのは22人中6人にすぎない。新陳代謝によって活性化が図られ、新しいメンバーが「表現者」の熱を新たに注入する役目を果たしている。それが長く続いている原動力になっている。
それと、当初から労を惜しまず諸々の世話を一手に引き受けている、人望の篤いリーダーの存在が大きい。
今回も多種多様で個性的な作品が並んでいた。その中でも、リーダーの作品には笑ってしまった。沖縄のフルマラソンに毎回参加していて、地元の人に案内された海岸で拾って来たサンゴで使ったシーサーだ。
こっちは「ひげラク商店」の名で、似顔絵、看板、ポスター制作、鳥瞰図制作などを独自のタッチで表現するノスタルジー満載の絵を描くマルチな画描き。彼は、テレビにも出演して街中で面白いものを探索して、その面白い風貌までを売り物にしている。
ひげラク・ワールド
このホーロー看板も手描きだ
他にも陶芸あり、写真あり、きり絵あり、その上クラシック・ギターの生演奏まであった。
半分は堂々たる作品だが、残りの半分は参加する事で満足しているものだった。それらの制作者は、自由を享受しているとは言い難い。
「自由」と言うのは時に足かせとなるものです。
何でもいいというのはでたらめで良いという事にはならないし、本当に表現したいものが無ければ何も生まれやしない。
制約がある方が、遥かに楽な場合も多い。
例えば、まったく知らない土地に連れていかれて、「何処へでも自由に行ってください」と言われてもどっちへ行ったらいいのかさっぱり分からない。
その時、「北へだけは行かないでください」と言われれば、選択の幅は狭まり少しは動きやすくなる。また、「南の方へしか行ってはいけないと言われれば、そっちへ向かってそこで可能な限りの自由を駆使することが出来る。
丸っきりの自由は却って不自由なものです。
自由を与えられた若者が、行くあてが見つからなくてウロウロしているのは当然の帰結です。
戦前戦後の不自由だった頃の方が、よっぽど自由の有難味を感じていた。「なけなしの自由」ってやつこそが、自由のだいご味なんだと。
どこにでも転がっている自由なんて蝋でできた食品見本みたいなもの。立派そうに見えても喰えやしない。
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「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、
2009年2月中旬より再スタートすることにしました。
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プロフィール
sunkyu
日本の四季と日本語の美しさ、面白さ、不可思議さ、多様性はとても奥が深い。日々感じたことを「風におよぎ 水にあそぶ」の心持ちで短歌と共に綴っています。 本業は染色作家
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