![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/0b3f2c1e72f2be29bcee5fa03db30b9c03edd21f.95.2.9.2.jpeg) ♪ 動の行、静の行とて至上なる峰の白鷺、谷の鈴虫
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比叡山の荒行では比叡山の峯々を回る千日回峰行が有名ですが、もっとも過酷と言われる「十二年籠山行」というものがあるのをご存知でしょうか。
千日回峰行者が「あの行は厳しい。とても出来るものではない。」と漏らすほど厳しい行だそうです。千日回峰を「動」の行として「峰の白鷺」といい、十二年籠山を「静」の行として「谷の鈴虫」とたとえられる。
伝教大師・最澄上人が今も生きているが如くに12年籠山行の僧侶によって一日三座給仕するお勤めと、堂内外を「掃除地獄」と呼ばれる行があります。これは比叡山の浄土院が第一の聖域であるゆえに、一日に決められた時間内に、聖域内を「落ち葉一枚、雑草一本」も残さず掃除しなくてはならないというもの。
さらには自らの厳しい勉学に励む行が修されています。この壮絶な修行を成し遂げた宮本祖豊というお坊さんのお話です。
天台宗務庁発行の「ともしび」VOL131より
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この12年間浄土院から一歩も出る事無くお仕えする僧侶を「侍真」(じしん)と呼び、これは「伝教大師の真影に侍る」という意味。また、侍真を志す者は浄土院の拝殿にて仏様のお姿を感得するまで、「好相行(こうそうぎょう)」という毎日三千仏礼拝行を勤めます、そして現任の侍真の印可を得、戒壇院で誓願してはじめて侍真の資格を得ることができるという非常に厳格なものなのです。
1699年に制度が制定布告されると、ただちに五人が登壇受戒したが、一人は病死、行に入った僧も二人途中病死、一人不明という厳しさで始りました。現在まで117名の侍真の名が残っているそうですが、その中で満行に到らず26名の病死者がいるそうです。たとえ病気になろうと、両親の葬儀であろうと山を降りることは許されないという。
クリックで拡大して、じっくりとお読みください。
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/fcff21290fbe1e1d7e027eee3f76ebd34cd552d8.95.2.9.2.jpeg)
平成元年に籠山の行に入り、平成六年から同九年まで「好相行」に臨む。「私は、高校生までは普通の生活をしていた。だから世俗の楽しみも知らないわけではない。それを断ち切って、仏を感得するために死の淵をのぞき、そして行に入って二十年間を比叡山で過ごした。今から振り返れば、その時ほど幸せを感じたことはない。」という。
大学受験の失敗が契機になった。「坊さんになりたい」「比叡山に行って何するんだ」
「比叡山は修行の山であり一般の葬式は執り行わない。だから、そこで修行して立派な坊さんになりたいのだ」
二十二歳の時に「修行に行きます」と、片道切符を持って家出した。
漸く比叡山の奥地にある浄土院での修業が始まる。そして念願の僧侶となって「目の前に仏を観る」という苦行「好相行」が待っている。一日千回の五体投地。眠ることも横になることもなく続ける。衣は裂け、膝には血が滲む。24歳で得度。
比叡学院で仏教の勉強し、その間、六十日を行院に籠もり、僧侶の作法を習得する。そしてようやく、二十九歳で晴れて住職の資格を獲得。以来、二十年間を比叡山結界の中で過ごすことになる。
浄土院で伝教大師に仕えるには、戒壇院で自誓受戒しなくてはならない。そのためには「好相行」という難行を完遂する必要がある。いわゆる「資格審査」で、これが命がけなのだ。
この「好相行」の模様は壮絶極まりない。千日回峰行の「堂入り」では九日間、飲まず食わず横にならず不動明王の真言を唱える行があるが、死の淵までいっても九日という日にちが決まっている。好相行は目の前に仏が立つまで、日は決まっていない。一日十五時間かかる行で、沐浴とトイレ以外は常にお堂に入って五体投地を繰り返す。
四か月を過ぎる頃になると、二十四時間ほとんどお堂に入りきりで、眠ることも横になることもできない。疲労困憊して意識がもうろうとしてくる。眠っていないため、やせ衰え、首が細くなり、ついには首が立たなくなってくる。舌もおかしくなって味は分からない。顔は蝋人形のように血の気が無くなる。体重は十三キロ落ちた。
九か月過ぎて、ついにドクターストップがかかる。そして、一か月後、再び行に入る。十か月後、再びドクターストップ。九日後に三度目の行に入る。
三度目の挑戦から十七日後、ついに宮本は仏を観る。「仏様が観えました」ということでは、まだ行は終わらない。先輩たちに、その姿を報告し「偽物」と判断されれば、全てがは振り出しに戻ってしまう。
死を覚悟した宮本の前に出現したのは、これまで体験したことのない世界だった。「宇宙と自分とが一体となる感覚」。その至福の体験があるからこそ、その後の十二年間を過ごすことができたという。
好相行は満行である。しかし、それは浄土院に入るための前行に過ぎない。
「比叡山の三大地獄」といわれるのは、「回峰地獄」「掃除地獄」「看経地獄」である。浄土院の十二年籠山行が地獄といわれるのは、朝座と夕座の間のすべての余った時間の境内清掃のことを指す。単なる清掃作業ではなく、チリも留めぬほどに行うのである。孤独が身にしみ、わずかな物音にも心が揺れる。とにかく境内を清浄に保つという使命感に突き動かされて、時間があれば清掃に出る。
三百六十五日一日も欠かさず、休みなどは無い。浄土院は湿気も多く日当たりも悪い。体力がどんどん落ちてゆく。ついには、声が出なくなり、足腰に異常が出る。立ち上がるのが困難になる。病気になれば、その場で死ぬだけなのだ。
胸の奥から、泉のように、こんこんと湧き上がって来る止めることのできない喜び。その喜びは実に強烈なもので、飛び回りたいほどのものだという。
死を覚った人が、木も石ころも、建物の屋根もすべてのものがキラキラと輝いて見えるという。それと同じような事が、好相行の最中に何度も何度もやってきた。「見慣れているお堂の一部がキラキラとダイヤモンドのように輝いているのです。自分自身の個というものが溶け出して、地球一杯、宇宙一杯になる感覚です」と。
宮本には、生と死の間を跨いだという感覚があった。そして、あと一歩で天に昇るという時に「入れてくれ」というと「駄目だ」という声が聞こえた。その声は自分の声だった。それも他人を拒絶したときの自分の口調にそっくりだったという。
行の最中には、甘えや驕り、憎悪、疑惑まどや、過去の自分の行いが繰り返し現れるという。「今まで、意識しなくても多くの人を傷つけてきた。それらについて懺悔し、許しを請い、また自分を傷つけた人々も許す。許し、許されなくては人は救われない」と気づいた時に、光が訪れ、仏が現れたのである。
宗祖伝教大師は「一隅を照らす、此れ則ち国宝なりと」と諭されている。(天台宗出版室編集長 横山和人)
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◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
☆短歌集「ミソヒトモジ症候群」円居短歌会第四歌集2012年12月発行
●「手軽で簡単絞り染め」
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プロフィール
sunkyu
日本の四季と日本語の美しさ、面白さ、不可思議さ、多様性はとても奥が深い。日々感じたことを「風におよぎ 水にあそぶ」の心持ちで短歌と共に綴っています。 本業は染色作家
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