歌 と こころ と 心 の さんぽ
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♪ 朝露に枝垂れて萩の散り濡(ぬ)るを夕べ悲しきあしびきの山
火山灰が50cmも積り、火山ガスに阻まれて、犠牲者の搬送が思うに任せない御嶽山。安否も確認できていない人もまだいるという事で、不明者の家族は眠れない夜を過ごされている。 雨が降らない内に何とか救助活動を終えられることを祈るばかりです。雨が降れば火山灰は柔らかい泥土と化し、腿のあたりまでのぬかるみでは動くこともままならないし、とても危険を伴うことになるという。その濡れた灰が乾けば、今度はそれが固まってスコップも通らないものへと様変わりするらしい。 3,000m級の山ゆえに空気が薄く、その上防毒・防塵マスクをし、噴石の直撃から守るために防弾チョッキの着用をして救助隊員は、かなり過酷な作業を強いられている。1日も早い救助活動の終息を祈るばかりです。合掌。 岩手県一関市花泉町の御嶽山御嶽神明社(佐藤一伯(かずのり)宮司)は30日、御嶽山噴火の被災地支援に向けた義援金箱を設置したそうです。 同社は御嶽山の分霊をまつる神社。義援金は長野県木曽町と王滝村の御嶽神社に寄付するという。 吾が居住エリアにある御嶽神社も、今日1日は月次祭の日だった。いつもの様に信者・崇敬者さんたちが朝早くからお参りをし、いつになく熱心に経を読み山の鎮まるのを祈祷していた。 日帰り登山は、5合目までしか行かず火山灰も来ないところだということで、予定通り行われる。我々総代は全員の参加を見合わせ、2名が代表で参加することとなった。 御嶽神社信仰は、御嶽山の山岳そのものが神であるという信仰に起源すると考えられている。開山は役小角(えんのおづぬ)といわれ、大宝2年(702)信濃国司高根道基により奥宮が創建され里宮は文明16年(1484)に創建された。 それ以後入山するものが絶えていたが、天明年間(1781~89)尾張国の覚明(かくめい)が再開し、次いで武蔵国の普寛(ふかん)などの修験行者が御嶽山神の功徳を説き世人に登山遥拝を勧め、再び御嶽山信仰は世の注目を集めるようになたという。 神道十三派の一つに「御嶽教」がある。木曾御嶽の霊山を根本道場とする山岳系教派で、岐阜県側の黒沢口登山道の開闢をした覚明(御嶽教では覚明霊神と仰ぐ)と、長野県側の王滝口登山道を開いた普寛(普寛霊神と仰ぐ)を開山霊神と仰ぎ、江戸時代中期の天明・寛政年間(1781~1801)を中心として、山岳宗教から村里の布教へと展開して結社された宗派神道。 木曾御嶽に登拝して六根清浄を唱え、禊祓・太陽信仰息吹の行法などの修行によって悟道に入るのを教旨としているが、なかでも根本道場である御嶽山登拝が中心となっている。
◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。 ◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。 ★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月) ☆短歌集「ミソヒトモジ症候群」円居短歌会第四歌集2012年12月発行 ●「手軽で簡単絞り染め」
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sunkyu
日本の四季と日本語の美しさ、面白さ、不可思議さ、多様性はとても奥が深い。日々感じたことを「風におよぎ 水にあそぶ」の心持ちで短歌と共に綴っています。 本業は染色作家
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