しつこく国歌問題
昨日の最高裁判決から一夜明けて、朝刊4紙の社説を見比べてみた。日本経済新聞の社説が経済紙として最も客観的な視点に立っていて好感が持てた。個人の思想・良心の自由は最大限認められなければならないという主張に対して『一般国民の日常生活の中ではこうした解釈も成り立つ』としながら『しかし、裁判で争われているのは公務員の職務としての行為』であり、各教師の思想・良心の自由を理由に個人的な裁量に委ねられたのでは学校教育の均質性や組織としての学校秩序が維持できないとした最高裁判決には“常識にかなうものがある”としている。非常に冷静かつ論理的な社説であり、良識的な内容と言える。それに対し、原告女性(ピアノ教師)の判決後のコメントが対照的である。『自由に心の表現ができる音楽を否定し、権力の道具におとしめる判決で認められない』何を勘違いしているのかは分からないが、少なくとも公教育の場は女性の心情を自由に表現する場ではない。式典での伴奏行為が権力の道具という考えも世間一般の認識とかなりかけ離れている。公務員は公的業務を行ううえで、外形的行為として時に思想・良心に反した職務も行わなければならないことは当然であり、その職務命令に一定の妥当性が有り直接的に思想・信条の否定をしない限りにおいては従う義務があると思っている。要するに「お前の考えは間違ってるからその考えは捨てろ!」というのは勿論違法であるが、「学習指導要領に沿って教育運営を行うことを地方公務員法に従い命ずる」というのは(いかにその内容が信条として納得できなくても)合法ということだろう。ちなみに、日本の国歌が“君が代”であることも既に国旗国歌法により制定されている以上国歌斉唱時に“君が代”を歌うことに手続き上問題があるとも思えない。※国旗国歌法には強制力がないというのは別の話し。強制力は地方公務員法を根拠とする。毎年12月23日は休日法によって「天皇誕生日」という国民の休日になっている。ここに“天皇崇拝は先の戦争を想起させるため、いかなる形でも天皇制は認められない”という信条を持つ教師がいたとしよう。(もちろん、そう考えること自体は“自由”だ)その教師が、「12月23日に休暇を強要されることは自分自身の信条を否定されることになり、憲法の保障した思想・良心の自由を侵害される。絶対に認められない。」と言い出したらどうであろうか?休校とすることを拒否して自分だけ学校へ行き、出席してこないクラスの生徒全員を欠席扱いにしたらどうなるだろうか?日経新聞の言うように「常識の範囲」で物事を判断してもらいたい。