小田原城下を歩く-2(その33):本源寺(2/2)
「本源寺」の境内の散策を続ける。「聖徳太子堂」。「左官組合」と書かれた碑が正面に。「聖徳太子堂」。小田原左官業組合によって建立されたものと。2016年(平成28)当時、毎年1・5・9月の年3回、本源寺で同組合による「太子祭」が開催されていたという。近づいて。そして再び「本源寺 本堂」前に。正面の石塔には、「あきらけく のちの佛のみよまでも 光伝えよ、法(のり)乃(の)ともしび」伝教大師がお読みになった和歌で「天台宗歌」👈️リンク になっていると。再び「本堂」前に。扁額「本源寺」。「微笑薬師瑠璃光如来(ほほえみやくしるりこうにょらい)」と。「捨身延命地蔵大菩薩(おたすけじぞうだいぼさつ)」と。内陣。ズームして。さらに。本尊は釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩。正面、千鳥破風の猪ノ目懸魚。左右には、繊細な模様と彩色の植物模様の鰭。板材の小口は黄色く着彩されています。本源寺の所有する「絹本着色 千手観音二十八部衆図像」は、中世期に遡る仏画の中では、南町・報身寺の阿弥陀如来像に次ぐ古い作例であり、また箱書きによると、小田原藩主・大久保忠隣が所持した品で、元禄9年(1696)に石川憲之によって本源寺へ寄進されており、伝来が小田原の歴史に深く関わるとして、2009年(平成21)に小田原市の文化財に指定された写真はネットから。そして境内には「護摩堂」があり、不動明王像と慈恵大師の自作の像が安置してあるのだと。「愛染明王 厄除不動明王護摩堂 千手千眼観世音菩薩」と。「常香炉」。台座には「浄法薫習」と。お香の香りが身体に染み込んでいくように、すぐれた人と行動を共にしていると、気がつかないうちに、自分もすぐれた行動をとるようになる と。狛犬(右)。寺院の狛犬は、神域に邪気が入らないように守る霊獣で、威嚇(いかく)しているような表情が特徴。狛犬(左)。「護摩堂」の扁額は「大聖不動明王」と。「二宮金次郎」像もあった墓地を望む。境内の空き地に横たわっていた石仏。巨大な石仏が台座ごと横たわっていた。二宮金次郎像も。これから建設するものか?それにしては雑草の中に無造作に置かれていたが。墓地の一角にも石仏が。「諸上善人 有縁無縁 精霊供養塔」。こちらには五輪塔が。「相州 小田原城主 大久保家供養塔」と。墓石には大久保忠世・忠常・忠隣・忠康・忠朝の名が。「地蔵尊」。「後生(ごしょう)」とは1 仏語。 ㋐死後に生まれ変わること。また、死後の世。来世。あの世。→今生(こんじょう) →前生(ぜんしょう) ㋑死後極楽に生まれること。来世の安楽。極楽往生。「—を願う」2 他に哀願するときに用いる語。お願い。「—だから助けてください」 と。「後生地蔵尊」。側面には「合掌は 後生を願うしるしなり 合掌」と。移動して。「諸上善人 有縁無縁 精霊供養塔」。「水かけ地蔵尊」。寺務所。赤の曼珠沙華が咲いていた。白も。境内の南西の角にあった「泪橋観音(なみだばしかんのん)」。「おさいせん 泪橋観音」と。お寺の前には護摩堂川、泪橋跡の碑が建っていた。橋の親柱と思われるものが置かれているので、ここには護摩堂川が流れていて泪橋が架けられていたのであろう。「泪橋跡」碑。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・