【菅谷城】 菅谷城は、境目の城だった!
「須賀谷原合戦」『南のだんだん廓』さ戻ってきたど。 今回は、崖んとこにめ~る階段さ登ってみんべ。 あそこも公園化にともなって、こしゃった階段なんだべな。 じゃないと、敵さ侵入してきたとき、 楽々と入り込めちゃうもんな。 ところで、『菅谷城』さ攻めてくる敵って、どんな奴だったんだべな? どっかに手がかり、ないかな~。 と、本棚さ探ってみたら、ちょっと面白いもの、発見したど。『須賀谷原合戦』だって。 漢字は違うけんど、読みは同じ『すがや』だど。 興味さ引かれるね。(これは南廓の周辺。低いけんど土塁で囲まれてたど。)『須賀谷原合戦』があったのは、長享2年(1488)6月ごろ。『菅谷城』の周辺であった、合戦でな。『扇谷上杉定正(おおぎがやつ うえすぎ さだまさ)』が『古河公方足利成氏・政氏』『長尾影春(ながお かげはる)』 と手をくんで、『山内上杉氏(やまのうち うえすぎし)』の領土さ侵入してきて、 戦になったもんらしいど。 おお。大物がいっぱい出て来たな。 関東の歴史の本さ読んでると、よくお目にかかる人たちだな。 なんでも『大内上杉氏』の本拠地は『鉢形城』っつってな。 現在の埼玉県寄居町、ってとこにあったんだと。『菅谷城』からみっと、北西方向だな。 で、『扇谷上杉氏』が拠点としていたのが『河越城』。 現在の、埼玉県川越市にあった城だど。『菅谷城』からみっと、南東方向だな。 おお~!なんだこりゃ~! 地図でみっと、『鉢形城』と『河越城』の真ん中辺に、『菅谷城』があるよ。 本にゃ、『菅谷城』がある、比企郡あたりはな。 両陣営の境目にあった、って書いてあるけど。 地図でみっと、よくわかるな。 らくがきメモにしてみっと、こんな感じ。 な、真ん中だんべ。 だもんだから、両方から攻めてくっと、 ちょうど『菅谷城』のある比企郡とこで、ぶつかるわけだ。『須賀谷原合戦』のあったおんなし年の11月ころにもな。『菅谷城』のお隣、小川町んとこで、合戦があった。 こっちは『高見原の合戦』って言われてんだけど、 どちらも、規模の大きな戦でな。 使者も大勢でたそうだど。『南廓のだんだん部分』まで、あがってきたど。 真横からみっと、結構広いな。 これなら弓さ引く広さが、確保できそうだど。 建物は無理そうだな。 防御用に塀ぐらいは、こしゃれそうだけど。 住居スペースでは、なさそうだべ。 やっぱしなにかしらの、戦用の仕掛けが、 あったんかな~。 ちょっと下さ振り向いてみた。 ・・・あ、みなきゃよかった・・・足すくんじまった。 高いど~。急だど~。・・・よく、登ってこれたなぁ。 下りだったら、ぜったい、降りなかったな。 ってことで、ゆっくり、登った。 落ちなくてよかった~。 もう、2度と登れないだろうな~、ここ。 登りきると、『二ノ廓』の端っこさでた。 これは『本丸周辺を囲む堀』。 崖んとこで、曲がってな。『本丸の南』に続いてたど。 こないだみた『車道みたいな堀』に繋がってんだべな。 そだ。『須賀谷原合戦』の結末だけんどな。 最初は『山内上杉氏』が押してたんだけんど、『扇谷上杉』が盛り返してな。『山内上杉氏』が撤退して、終わったらしいど。 じゃ『菅谷城』は? このころは、どっちの手に入ってたんだべな? なんか、埼玉県の歴史も、おもしろくなって来たど~。 情報、どっかにないかな~。《参考》【楽天ブックスならいつでも送料無料】関東の名城を歩く(南関東編(埼玉・千葉・東京・神) [ ...価格:2,484円(税込、送料込)【送料無料選択可!】埼玉県の歴史 (県史) (単行本・ムック) / 田代脩/著 塩野博/著 重田正夫/...価格:2,592円(税込、送料別)************************************* 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村**************************************