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「葺石」 いよいよ『八幡塚古墳』の中さ入るど。 まずは『内提』を越えて、中側へ。 『墳丘』の周囲は、さらに彫り込まれて、深くなってるど。 ここは『内堀』っていうところ。 堀っつうより、広場みたいだな。 広々してるせいだべか? なんか別世界にふみこんじまったみたい。 へんな気分だな。 ず~っと突っ立ってても、しゃ~ないから、 後方部分へ向かう。 ここにゃ階段さあってな。 上さ登れるようになってんだ。 もやもや感を残したまんま、階段さのぼる。 う~ん、のぼり難い。 角度はお城の土塁ほど、急じゃないと思うんだけどな~。 なんか前屈みになっちまうよ。 『墳丘』の表面は石が敷き詰めてあった。 これは『葺石(?)』つうんだ。 これのおかげで、古墳全体が灰色にめ~るよ。 『八幡塚古墳』の場合。 『葺石』はセメントで固めてあった。 安全の為だべな。 しゃ~ない処置だけど、ちっと残念だな。 いやな。 古墳時代はどんな風に石っこつんでたのか、見たかったんだ。 まさか、古墳時代にセメントはなかんべ? つうと、うんまく積み上げる工夫とか、 あったんじゃないかな? お城の石垣みたいに、地域やこしゃった人によって、 違いつ~か個性が出てたりしたら、面白いよな~。 と、辺りを見回してみたけんど。 う~ん。そこまでは、わがんねや。 そこで『かみつけの里博物館』で買って来た 資料さ、覗いて見た。 お、ちょっと面白い話さめ~っけた♪ まず『八幡塚古墳』に使われた石の数・・・約398000個! 『墳丘の表面』や『石棺を覆う石槨(せっかく)』に使われたんだって。 重量にすると約600トンになるらしいど。 すげ~量だな。 いったいどっから運んできたんだべ? 石の大半は、榛名山周辺の川原から集めてきた石らしい って言われてんだって。 ただ、当時の川は、榛名山の大噴火で埋まっちまったんでな。 正確な位置はわかってないんだと。 だどもな。石っこの大きさが揃ってるもんだから、 特定の場所さ決めて、そっからえっちらおっちら。 運んできたことは、間違いないみたいだど。 川原の石って上流と下流じゃ、大きさが違っちゃうもんな。 古墳に使う石は大きさが決まってて、 大きすぎても、重くて使えないし、 小さすぎても、だめなんだと。 石っこにゃこだわりがあったんだべな。 当時は、古墳デザイナーみたいな人がいたんかな? で、あれだめ!これだめ! って、口うるさく石っこの選別、してたんだべか。 そうそう。石っこの並べかたも、書いてあったど。 『墳丘』の斜面に並べる場合。 まず、上から下に、一本の筋みたいに並べる。 そしてすこし離して、もう一本並べる。 で、筋と筋の間に、石っこをどんどん並べていく って方法を使ってたんだど。 これだと最初にならべた筋が綺麗にそろって、 浮いた模様みたいにめ~るよ。 へ~。おしゃれだね。 と、思ったら、これは模様じゃなかったみたい。 なんでも、一人で並べる分、とか グループで並べる区画を分けるための、印だったんだと。 だもんでよ~くみっと、 こっちは綺麗に丁寧に並べてあっけど、 隣は雑、って感じで、当時の人々の個性が表れてんだそうだよ。 あ、なんか、お城の石垣づくりと似たとこあんね。 江戸城みたいなおっきな城は、多くの大名が、 こっからここまで、って範囲さきめられて。 石垣さこしゃった、って聞いたど。 へんなとこに共通点さ、あったなw。 って、こじつけかもしんないけんど。 似たとこさめっけるって、 なんか、おもしろいね。 《参考》 「よみがえる5世紀の謎 ~かみつけの里博物館・常設展示解説書~」 かみつけの里博物館の案内パンフレット ************************************* 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~! にほんブログ村 にほんブログ村 ************************************** お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.01.13 23:59:23
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