カテゴリ:言葉
平成27年4月30日木曜日 午前4時半起床。昨日から大型連休の会社もあるとニュースが報じていました。弊社は暦通りの営業です。夜来の雨が残り、傘を持って出勤しました。夜半、屋根を叩く降り様は、まさに穀雨でした。駐車場に着いたときは、さす必要がありませんでした。終日曇り。夜、月が出ました。月齢は11。満月は5月4日です。 午前中は会議。傍聴の態でした。午後はミーティングに終始。鬱陶しい案件ばかり。春なのに、物言えば唇寒し秋の風の雰囲気でした。フンだ。方や、手持ちの別件は部下の機転や配慮でゴロリ、前に進みました。過剰反応しそうになった案件も帰り間際に落ち着きました。立ち寄るところあり、父の小用を済ませて帰宅。走りませんでした。 書くことがないので今月初めに届いた季刊誌「考える人」の紹介を。 特集は「数学の言葉」でした。巻頭は「計算の風景」と題した森田真生(まさお)氏のヨーロッパ数学紀行。ローマの旧跡を数学的視点から見たり、スピノザやライプニッツの足跡を訊ねたり。京都には「哲学の道」がありますが、ゲッティンゲンに「数学の道」のあることを知りました。そのまちには「ガウス通り」というのもあるそうです。半可通にであっても、そそられる内容でした。 もう1つ、内田樹(たつる)氏の寄稿「数学的知性」について。内容は、取り扱いにくい概念を明らかにするため、「何でないか」から論じ始めることが数学的であるという旨です。「ユダヤ人」という言葉の使われ方が、いい意味、悪い意味、多方面に幅広く用いられていることから、「ユダヤ人」としての本質を見極めるためには、ユダヤ人は人種ではない、信徒集団ではない、国民国家の構成員ではない・・・。否定の果てまでいくと、見えてくるんだそうです。それを数学的思考という。ふーん、そうなのか。 「大酒飲み」の本質を見極めるためには、否定を辿らねばなりません。酒に好みがない、当てに不平を言わない、足るを知らない、財布の中身を計算できない、日付変更線を恐れない、昼酒の歯止めがない、朝酒を拒まない、注がれた酒を拒まない、遠慮を知らない・・・。なるほど、否定の果てに向かうと、だんだん判ってきます。 馬鹿話はそれとして、内田氏のわずか1頁足らずのコラムに、知らない言葉が幾つも出てきました。 辱知の栄:知り合いであることをへりくだって謙遜すること。 悖理(はいり):道理にそむくこと。論理に反していること。 チューリング:イギリスの数学者、暗号解読者、チューリングマシンで有名。1912年6月23日~1954年6月7日 勉強になりました。でも、こうやって言葉を調べても、いっぱい飲んで寝てしまったら、覚えること能わずです。 今日の一句 歳時記を捲り疑う紅葉色 元越に雨雲懸かり蛙鳴く 春風に雑蜜甘し朝のパン 熊蜂が菖蒲に潜る酔いの頃 皐月雨濡れる山々酒旨し 今日の写真は出勤途中の楓です。緑がいい感じです。中学、高校の同級生、今は金融機関の支店長をしている親友・ドテチン(仇名です)の家にある築山です。 オマケは7段。魚眼レンズは真実を切り取ります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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