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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

カテゴリ

2009.05.30
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カテゴリ:ロシア
辛いのですが・・・冬宮・エルミタージュ美術館の前にある「宮殿広場」について、書いて置かねばいけない事があります(血の日曜日事件)ちのにちようびじけんBloody Sunday


           『ロシア旅日記』・・・血の日曜日事件

           エルミタージュ.jpg
            ロシア旧暦 1905年 1月 9日 日曜日


                西暦 1905年 1月22日 日曜日



                ロシア  サンクトペテルブルク 



                冬宮  エルミタージュ前



              
                宮殿広場・・・・で起きた



                  
                「血の日曜日事件」 





 どんな事件だったのでしょうか?




十字架や



イコン(マリア様などの絵が描いてある板)や



皇帝の肖像を掲げた



労働者やその家族が、



当時のロシア皇帝



ニコライ2世に お願いをするため



エルミタージュ「冬宮」に向かい



行進をし 歩く人歩く人歩く人歩く人歩く人歩く人歩く人歩く人歩く人歩く人歩く人歩く人歩く人歩く人歩く人



ここ上向き矢印宮殿広場までやって来た



何をお願いしたのかと・・・言うと



憲法制定会議の召集・政治的自由・法の前の平等・団結権・8時間労働日など・・・・




若くして皇帝になった ニコライ2世は、



どれ程の力があったのか?



分かりませんが・・・



結局



軍隊が出動し



大行進の民衆に向かい



発泡し



人々は、次々と倒れ




なんと 残酷なっ号泣




100人前後の死者が



出たのであります。




この事件で



皇帝 ニコライ2世は、すっかり人気を失い



結果



この事件が



第一次革命の発端となった。



1917年 ロシア革命成立



ニコライ2世と その家族を



処刑してしまおうと・・・



そんな騒ぎになる!



ロシア国内も政治的な問題がいろいろ出てきて



確かに19世紀末となると、



テロにより 皇帝が 殺害され・・・・




20代半ばで 皇帝の座に つかざるを得なくなったニコライ2世に



国民の意見を聞いて、大国を治める事は、



無理だったのでしょう・・・・?



しかし



民衆に向け 発泡びっくり



「血の日曜日事件」と



後世まで語り継ぐ 大事件となったのですから・・・



怖いショック怖いお話



この広い 宮殿広場の 不気味な 怪しい空が下向き矢印
IMG_5776.jpg

残酷な「血の日曜日事件」の現場だったんですね下向き矢印
アレキサンドルの円柱.jpg
旅をして・・・歴史を知ると辛いこと耳ばかし聞きます。


残しておきたい【世界遺産】としての意味は、大きく考えると・・・・


歴史の中の人類が残した「悲しい歴史」が多分に含まれていて


辛いけども・・・知って欲しいと思ったのでブログに書きました。


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最終更新日  2009.05.30 16:21:55
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