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テーマ:世界遺産紀行(1090)
カテゴリ:ロシア
辛いのですが・・・冬宮・エルミタージュ美術館の前にある「宮殿広場」について、書いて置かねばいけない事があります(血の日曜日事件)ちのにちようびじけんBloody Sunday
『ロシア旅日記』・・・血の日曜日事件 ロシア旧暦 1905年 1月 9日 日曜日 西暦 1905年 1月22日 日曜日 ロシア サンクトペテルブルク 冬宮 エルミタージュ前 宮殿広場・・・・で起きた ち 「血の日曜日事件」 どんな事件だったのでしょうか? 十字架や イコン(マリア様などの絵が描いてある板)や 皇帝の肖像を掲げた 労働者やその家族が、 当時のロシア皇帝 ニコライ2世に お願いをするため エルミタージュ「冬宮」に向かい 行進をし ここ宮殿広場までやって来た 何をお願いしたのかと・・・言うと 憲法制定会議の召集・政治的自由・法の前の平等・団結権・8時間労働日など・・・・ 若くして皇帝になった ニコライ2世は、 どれ程の力があったのか? 分かりませんが・・・ 結局 軍隊が出動し 大行進の民衆に向かい 発泡し 人々は、次々と倒れ なんと 残酷なっ 100人前後の死者が 出たのであります。 この事件で 皇帝 ニコライ2世は、すっかり人気を失い 結果 この事件が 第一次革命の発端となった。 1917年 ロシア革命成立 ニコライ2世と その家族を 処刑してしまおうと・・・ そんな騒ぎになる! ロシア国内も政治的な問題がいろいろ出てきて 確かに19世紀末となると、 テロにより 皇帝が 殺害され・・・・ 20代半ばで 皇帝の座に つかざるを得なくなったニコライ2世に 国民の意見を聞いて、大国を治める事は、 無理だったのでしょう・・・・? しかし 民衆に向け 発泡 「血の日曜日事件」と 後世まで語り継ぐ 大事件となったのですから・・・ 怖い怖いお話 この広い 宮殿広場の 不気味な 怪しい空が 残酷な「血の日曜日事件」の現場だったんですね 旅をして・・・歴史を知ると辛いことばかし聞きます。 残しておきたい【世界遺産】としての意味は、大きく考えると・・・・ 歴史の中の人類が残した「悲しい歴史」が多分に含まれていて 辛いけども・・・知って欲しいと思ったのでブログに書きました。 何げにランキングに参加してるらしい?良かったらポチよろしく→行進ありがとう お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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そうなんだよね・・
旅に出ると楽しい話しばかりではなく 過去にあった悲しい話しや、残酷な話しもたくさん 見聞きしますね・・ それも含めて旅・・ いいお勉強になります・・ (2009.05.31 08:20:39)
北京猫さん
>歴史を知ることは、過ちを繰り返さないために大事なことですね。 >血のバレンタインデーはカポネの虐殺だし、血の金曜日は北アイルランド闘争です・・・ ----- 北京猫さんへ 未だに世界から「血の××事件」が無くならないのは・・・悲しい事です。 人間って困り者・・・・思いやりに欠けているのでしょうか? (2009.05.31 08:40:26)
teapottoさん
>そうなんだよね・・ >旅に出ると楽しい話しばかりではなく >過去にあった悲しい話しや、残酷な話しもたくさん >見聞きしますね・・ >それも含めて旅・・ >いいお勉強になります・・ ----- teapottoさんへ 世界中に、こんな悲惨な過去があるなんて・・・・--;思ってもみなかったです! 美しい景色をUPするだけだったら楽しいけど♪真実を知ってこその旅ですよね。 (2009.05.31 08:45:27)
私、お恥ずかしながらあまりロシアの歴史を知らないのだけど、ニコライ2世の処刑後の写真って白黒で残ってる?なんか見たことある気がする。
でも、まだ生きてるって噂もある? (2009.05.31 09:28:24)
ayamlinさん
>私、お恥ずかしながらあまりロシアの歴史を知らないのだけど、ニコライ2世の処刑後の写真って白黒で残ってる?なんか見たことある気がする。 >でも、まだ生きてるって噂もある? ----- ayamlinちゃんへ 写真?うぅ~見た事が無いけど・・・・実は、私も詳しく無いのーー; しばらくして、ニコライ2世も家族も召使いもみんな殺されたと聞きますが!? 私は、どこかに隠されて生きていたと考えたい気がします・・・なんか~気の毒な感じだもん! 今も生きて?そりゃ~無理でしょう・・・・何歳だろ? (2009.05.31 10:19:16) |