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カテゴリ:美術館・博物館
ふふふっ。世界で一番美しい背中の持ち主でしょうか(^0^)ルーヴル美術館のフロアーでもオーラを輝かせるのが
ドミニク・アングル作の『グランド・オダリスク』です~ “La Grande Odalisque” (横たわるオダリスク) きらりのわがまま「パリ旅日記」・・・第113回 2018年、パリ「ルーヴル美術館」1階(日本で言う2階)にて グランド・オダリスク(横たわるオドリスク)1814年 La Grande Odalisque(1814) 91.0×162.0cm 「新古典主義」最後の巨匠「ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル」が 34歳の時に描いた代表作『グランド・オダリスク』 主題は・・・ 当時、流行していたオリエンタル趣味の『オダリスク』です 皇帝ナポレオンの妹であるナポリの王妃カトリーヌの依頼により描かれたが 制作途中で、帝政が崩壊した為に・・・ 数年後にアングルが、自分でサロンに出品したもの。 女性美が輝く肌と優雅な曲線を用い デフォルメされた抽象的表現で描かれたのですが 発表時は・・・ 調和や統一性、形式美、理知などが尊重された時代であったので いびつな背中に伸びきった腕を持つ裸婦の姿は、 当時の評論家から非難を受けたのであります。 人体構造的では・・・ありえない 伸びきった背中や、太すぎる腰、臀部、大腿部は、 アングルが、美を追求した末に辿りついた表現であります しかし現在では、アングルの大きな特徴として広く認識されています。 アングルは・・・ 若き頃にローマで、ルネサンス芸術に触れて 特に「ラファエロ」の影響を強く受け この裸婦の顔もラファエロの『若い婦人の肖像』 イタリア「ローマ国立美術館」にて2017年ほしのきらり。撮影 確かに「ラ・フォルナリーナ」の影響 クリソツ・・・「アングルさん」パクッております アングル・・・とは? ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル Jean Auguste Dominique Ingres 1780年8月29日-1867年1月14日(86歳没) フランス「新古典主義」における最後の巨匠・画家 ドラクロワの「ロマン主義」に対抗し ダヴィッドから新古典主義を継承 ナポレオンの没落後、1816年に亡命した後に注目され 古典主義的な世界を継承した。 極めて高度な線描を基軸とした形体描写による 厳格で廉潔な絵画を制作し 19世紀前半のフランス絵画最大の権威者となる。 生涯にわたり理想美を追い求め 幾つかの作品は、発表当初に批難をあびたが その多くは、傑作として今も絵画史に燦然と輝いている 当時、最も格調が高いとされた歴史画をはじめ 神話画、宗教画、さらに官能的な裸婦 肖像画、風景画などを手掛ける。 師ダヴィッドの亡命に寄り新古典主義の後継者として名が挙げられ 手がけられた作品の本質は・・・ ロマン主義的な革命性や個性を見だすことができる。 アングルは・・・ 1780年8月29日 トゥールーズの王立美術アカデミー会員であった装飾画家の息子として モントーバーンに生まれる。 幼いころから素描の基礎を父より教え込まれる 1797年、パリへ「ジャック・ルイ・ダヴィッド」のアトリエ入門 1801年、ローマ賞歴史部門で大賞を受賞 イタリア留学のはずが・・・国の財政悪化の為にキャンセルに! 1806年『皇帝玉座のナポレオン』出品するも酷評 失意の中、イタリアへ 1824年までイタリア滞在。イタリアでは、ラファエロに心酔。 肖像画などで身を立てならが『グランド・オダリスク』を制作 1825年、サロンに出品すると好評を呼びパリへ帰国 王立絵画彫刻アカデミー会員となる 1834年『聖サンフォリアンの殉教』が酷評 1835年、ローマへ フランス・アカデミー院長就任。 1840年までローマに留まる 1841年、パリへと帰国 アングルは、最も権威がある画家として熱狂的に歓迎を受ける 1867年1月14日86歳でパリにて死去。 ・・・師「ダヴィッド」につづく・・・ ルーヴル美術館日記にぽち お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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