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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

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2018.09.13
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​『​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​フランスの国王フランソワ1世の肖像』は、ルーヴル美術館最上階のSULLYシュリー翼


「フランス絵画」にいらっしゃいますスマイル2018年4月28日(土)午後なので空いておりました手書きハート


王冠王様なのにリアルクール写実的でありますグッド


きらりのわがまま「パリ旅日記」・・・第131回


フーケ『フランス国王フランソワ1世(1494年‐1547年)の肖像』



ジャン・フーケ・・・とは?
Jean Fouquet

1415年・1420年頃-1480年・1481年

15世紀「フランス人画家」

板絵と装飾写本に優れた作品を残すグッド

肖像ミニアチュールに革新をもたらした。

イタリアに旅し

当時の「初期ルネサンス」をフランスに紹介した最初の芸術家ちょき

フーケは・・・

フランス・トゥールーズに生まれる。

1477年以前にイタリアを訪れたのは

1477年に死去した「ローマ教皇エウゲニウス4世」

(在位1431年~1447年)

肖像画を描いているからである。

その肖像画は、現存しておらず模写のみである。

フーケは、フランスへ帰国し

イタリアで学んだ「初期フランドル派」の画家

「ヤン・ファン・エイク」の作風と蜜接に関係していた

トスカーナの絵画様式を

15世紀初頭のフランス絵画の抒情的作風に融合させた。

このフーケの作風が・・・

フランスの重要な美術の学派を形成していくこととなる。

フーケは・・・

王冠フランス王シャルル7世、

王冠シャルル7世とルイ11世に仕えた廷臣エティエンヌ・シュヴァリエ

一等書記官ギョーム・ジェヴェネル・デ・ジュサンら

フランス王宮の上流階級からの依頼で描いた作品は

イングランドと百年戦争を通じて

フランス人の愛国心をより強固なものにしようと画策した

フランス宮廷の思惑と密接な関係がある。


フーケは・・・

細部にわたる正確な描写力

限られたスエースの小さな作品でも

人物の性格を描き分ける能力を持っていた。


フーケが、卓越した装飾写本作家であるという

フランス美術史上に確固たる地位をもたらした。


パリのフランス図書館で開催された「初期フランス派展」に

フーケの描いた肖像画が出品されている。

この展覧会には、

ヨーロッパ各地から見物人が集まり

これ以降フーケの画家としての重要性が広く知られるようになった。


フーケ『フランス国王フランソワ1世(1494年‐1547年)の肖像』

「シャルル・ダングレーム」と「ルイズ・ド・サヴォワ」の息子で・・・

従兄弟にあたる「ルイ12世」の後を受けて

1515年に王位を継承する


王冠フランソワ1世は・・・

王自身が偉大な師であった

「サン=ミッシェル修道会」の首飾りを付けている。

顔立ちは、「ジャン・クルーエ」による素描画と良く似ている。

上半身の彫刻を思わせる堂々とした体格グッド

剣と手袋の上に置かれた重要性が

この肖像画の近代的な性格を際立たせており

おそらく1527年~1530年頃に制作された物。

フーケによって描かれた・・・

『シャルル7世の肖像画』に見られる配置を取り入れながら

「ジャン・クルーエ」は、

堂々と見つめる「フランソワ1世」を正面から描いている。

王冠王は・・・

イタリア風の豪奢な衣装を身に纏っているものの

王の地位を表す王冠や王杖といった持ち物が見当たらない失敗

ほとんど理想化されていない顔立ちはグッド

きわめて写実的でに描かれており

シャンティイーにある美術館の「ジャン・クルーエ」によるものと

言われる素描画を基に描かれている。

フランドル派の写実的な描写の影響が

相変わらず見られるにもかかわらず・・・

この肖像画の全ては、

ルネサンスのイタリア画家たちの影響を思い起こさせる。

そうした影響は・・・

繊細な光、顔立ちや手のモデリング、

衣装の壁に見られる写実性、

宝飾品の輝き、そして

フーケだけでなく・・・

ラファエロやレオナルド・ダ・ヴィンチに由来する

フレーミングなどに現れている。


フォンテーヌブロー派は・・・

ルイ12世と、フランソワ1世によって

その美的感覚の一部が、イタリアからもたらされ

16世紀のフランス宮廷に君臨することによって

その様式を世に知らしめた。

この一派は・・・

装飾性や神話の主題に対する嗜好や

女性の身体描写に見られる際立った官能性を特徴とする。

フォンテーヌブロー派は・・・

1526年以降フォンテーヌブロー宮殿の

装飾事業に従事した「ロッソ・フィオレンティーノ」

「プリマティッチオ」「ニコロ・デラッパーテン」といった

イタリア人画家とともに始った。

伝統的にフォンテーヌブロー派は・・・

フランソワ1世とアンリ2世の治世下の

  第一次フォンテーヌブロー派と

アンリ4世時代に革新された

  第二次フォンテーヌブロー派に分けられる。


王冠フランス王フランソワ1世(1494年‐1597年)

の肖像画が描かれたと思われる

1535年頃当時、マリニャーノ戦いに勝利した王冠王は、

バヴィアの戦いにおける敗北と

カール5世による投獄の後の政治的苦境を既に脱していた。

政治権力を強化しながらも

王冠フランソワ1世は、

それまでフランスで行われたことのない規模の芸術庇護活動を展開した。

この肖像画は・・・

フランソワ1世から

ジャン・クルーエに注文があって以来

王室コレクションにずっと所蔵されており

1793年に共和国中央美術館が設立された際

その他の王室コレクションと共にルーヴル美術館に所蔵された。


この作品は、伝統的に

ジャン・クルーエの息子である

フランソワ・クルーエとの共作であると考えられている。






・・・つづく・・・

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最終更新日  2018.09.13 04:18:05
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