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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

カテゴリ

2020.08.09
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​画家=ルノワールが溺愛していた末息子「ココの肖像」を描いた時の逸話があります。それは、今となっては笑えるのですが・・・大笑い


手書きハートピエール=オーギュスト・ルノワール手書きハート
​Pierre-Auguste Renoir​
1841年2月25日〜1919年12月3日(78歳没)

​Le Clown(Portrait de Coco)1909​​

​Claude Renoir(1901-1969),fils de I'artiste​

Huile sur toile

120.0cm×77.0cm

『道化師』(ココの肖像)1909年​

クロード・ルノワール(1901年〜1969年)画家の息子

油彩・カンヴァス

パリ『オランジュリー美術館』所蔵


​​ココの愛称で知られるクロードは・・・


ルノワールの末子となる三男で、


1901年に生まれると


長男のピエール(1885年〜1952年)や


二男のジャン(1894年〜1979年)と同様に


父・ルノワールのモデルとなるグッド


三男クロードの肖像画は・・・90点以上を数える。


ルノワールは、クロードに陶芸の手ほどきをし


彼は、のちにそれを仕事とするようになった。


1960年に『ルノワール美術館』となるまで


彼は、カーニュのレ・コレットにある家族の家で暮らした。


クロードは、次のように回想している。


「赤い服の道化師の格好をした

 私の肖像画を制作し終わる頃に

 劇的な瞬間が待ち構えていた。

 私は、9歳か10歳だったはずだ。

 この衣装には、

 白いタイツが付いていたが

 私は、それを履くのを断固として拒否した。

 絵を描き終えるため、

 父は、タイツを履くように言った。

 他にどうしようもなかった。

 タイツは、チクチクした。〔・・・]

 私は、足を掻こうと身体をひねっていたが

 父は、今にも爆発しそうな怒りを抑えつつ

 なんとか作品を完成させた」。下向き矢印
​​​
しかし上向き矢印みごとに描かれた上向き矢印この堂々とした作品は、


そのような家庭の状況を伝える逸話など微塵も感じさせないうっしっし


背景は、曖昧だが・・・


ピラスター(柱形)や


円柱で飾られた様子は、劇場を思わせる。


見る者は、衣装
(現在はカーニュ=シュル=メールのルノワール美術館)の


華やかな赤に目を奪われる。


赤こそまさしくこの絵画の主役であり


ルノワールの晩年の表現において

特に愛用された色であった。


病をおして大きなカンヴァスに立ち向かい


画家は、この『道化師(ココの肖像)』


という傑作を世に送り出した。


そうすることによって同時に


ひとつの豊かな伝統にも挑んでいる。


すなわち、堂々とした​白衣のピエロ『ジル』1718年〜1719年 
パリ「ルーヴル美術館」


を描いたヴァトーとの緊密な対話を試みているのである。


『ジル』が1869年にルーヴル美術館の所蔵となったことは、


ルノワールにとって最大の喜びであった。(資料:S.P./S.i.さまより)



​ヴァトー・・・とは?​

​Antoine Watteau​
アントワーヌ・ヴァトー


1684年10月10日〜1721年7月18日(36歳没)


18世紀・フランス「ロココ時代」の画家。


「雅な宴」フェート・ギャラントの画家と呼ばれ。


若くして亡くなったが18世紀のロココ様式を代表する画家。


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最終更新日  2020.08.09 00:10:11
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