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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

カテゴリ

2020.12.05
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​孤高の画家「ファン・ゴッホ」を知るには、幼少期からの彼をもっと深く理解せねばなりませんうっしっしゴッホがさまよい歩いた道と共に歩く人ダッシュ


花​​ファン・ゴッホをもっと知りたい!​​花


​私の好きなゴッホの作品=その4​

『日暮れのポプラ並木』1884年10月


花  花  花  花  花  花
フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ
​Vincent  Willem  van  Gogh​

1853年3月30日〜1890年7月29日(37歳没)

ファン・ゴッホは、成長期に入っても


相変わらず孤独癖の強い子どもだった。


ゴッホは、自然を愛し手書きハート


語学の才を発揮しオーケー


言葉や視覚的イメージを鮮やかに思い浮かべる


鋭い感性を磨いていったスマイル


大人になってからのゴッホは、


「(自分は)陰気で冷たく覇気​のない」


子どもだったと回顧している。​


子どもの頃、ファン・ゴッホは


家族としばしば衝突した。


奇妙な言語が多く、


人を寄せ付けない変わり者で


子どもというよりは、老人のようだと


当時の使用人は、語っている。


そうした子どもは、孤独を好むものだが


ファン・ゴッホも例外ではなく


平坦な風景の密かな美を敏感に感じ取り


物思いに耽りながら


ブラバントの田舎道をさまよい歩いた歩く人ダッシュ


ファン・ゴッホが家住んでいたのは・・・


産業の中心地から遠く離れた農村で


北と東には、じやがいもやライ麦やソバが栽培され


南と西には、松林や沼地が点在する


ヒースの荒野が広がっていた。


日差しの加減でさまざまな表情を見せ


詩季織々に移ろう風景音符


ファン・ゴッホは・・・


その一瞬ごとの変化を感じる人間だった手書きハート


ファン・ゴッホは・・・


生涯を通じて村や町や都市を放浪するが


そうした体験がゴッホという存在の核を成していた。


周囲の環境を捉えるゴッホの鋭敏な感覚は


目にしたものを忘れない目


高い記憶力と結びついて強化された。



遭遇した場所や人、イメージ、書物や物は、


どこを旅しても彼の中に生涯とどまり続けた。


「僕らの中には、

 ブラバントの畑やヒースの野の面影が

 いつまでも残っているだろう」


と弟:テオに書き送っているeメール


最晩年の病気の際にも


「ズンデルトの家のどの部分も、

 庭の小道も草も、

 周囲の畑から見た景色も、

 隣家の人々も、

 墓地も教会も、

 裏の菜園もーー

 墓地の高いアカシアの木にあった

 カササギの巣までもが目に浮かんだ」


と記している。


敬愛するジャン=フランソワ・ミレーと同様に

ゴッホの作品の多くも四季の移り変わりをテーマにしていた。


絶え間なく、めぐる季節は、


受胎、誕生、青年期、壮年期、死という


生の循環の象徴でもある。


農村暮らしの牧師の息子だったゴッホは、


「地のある限り、

 種まきの時も、

 収穫の時も、

 暑さ寒さも、

 夏も冬も、

 昼も夜もやむことはないだろう」


という創世記8章22節の言葉を知っていたにちがいない。



当初、ファン・ゴッホは・・・


地元の学校に通っていたが、


村の子どもと付き合うと


「あまりにも粗野」になることを両親が案じたため


家庭教師の指導を受け、


11歳には・・・


ゼーフェンベルゲンのヤン・プロフィリ寄宿学校に入学。


ゴッホの手紙がeメール当時の心の内を鮮やかに映し出している。


面会に来た両親が去っていく瞬間に再び立ち合うかのように


彼は手紙でその時のことを幾度か綴っている。


「(ある秋に日、僕は)階段に立ち・・・

 父さんと母さんを乗せた馬車が帰っていくのを見送った・・・

 牧草地を貫くように走る並木道は雨に濡れ、

 灰色の空が水たまりに映っていた」。


少年時代のこの手紙から


ゴッホが、書簡執筆と画業において強みとなる特性ーー


心身の体験を1つのイメージに投影する才能と鮮明な記憶力ーー


を備えていたことがうかがわれる。


同校で2年過ごした後、


ゴッホは、ティルブルフの国立高等市民学校に転校する。


どちらの学校でも彼は、


語学の才能を発揮し、


フランス語、英語、ドイツ語を習得した。


素描が、カリキュラムで重視されていたことも興味深い。


15歳になる直前の1868年3月、理由は不明だが


(おそらく金銭的な理由から)在学2年目で退学。


以後、ゴッホが正規の教育を受けることはなかった。


(参考資料:ダイアブックス・ファン・ゴッホより)
(写真撮影:ほしのきらり)

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最終更新日  2020.12.05 00:10:12
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