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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

カテゴリ

2021.03.31
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ポール・ゴーギャンはタヒチから更に未開の地を求めマルケサス諸島ヒヴァ・オア島に移動しますが、そこでも事件が・・・ほえー


緑ハートヒヴァ・オア島「逸楽の家」緑ハート



『彼女らの肉体の黄金』1901年

​『黄金色の女たちの肉体』​

油彩 カンヴァス 67.0cmx76.0cm

【第二次タヒチ時代】

パリ「オルセー美術館」所蔵。


ポール・ゴーギャン
​Paul Gauguin​

1848年6月7日〜1903年5月8日(54歳没)


1901年2月〜3月(53歳
)​
病院入退院を繰り返す。

​8月​ プナパウイアの家屋を処分。

​9月10日​ タヒチのペパーテを出港船

​9月16日​船マルケサス諸島のヒヴァ=オア島に到着。

 アトゥオナに家を建て、「逸楽の家」と名付ける。

 ダブルハートマリー=ローズ・ヴァエオホと同棲。

モールスが「ノア・ノア』をゴーギャンとの連盟で出版。


1902年(54歳)​「逸楽の家」の木彫を完成。

​4月​ 作品をヴォラール画廊に送る。

​9月​ ヴァエホが出産。

「メルキュール・ド・フランス」誌に収録予定の

「へぼ絵描きの無駄話」を送るが掲載されずショック


1903年1月(55歳)​サイクロンに見舞われる台風

「前語録」を完成。

​3月​ 憲兵に対する名誉毀損で禁固と罰金を宣告される。
         下矢印
​5月8日​ 死去。


​​​緑ハート​「​憲兵に対する名誉毀損」・・・とは​!?

ゴーギャンは、タヒチの植民地化を批判する

記事を寄稿したことがあったが、現地の憲兵との軋轢は、

ヒヴァ=オア島では、訴訟事件に至る。

収賄の噂のある憲兵に対する調査を要求したところ

逆にゴーギャンが名誉毀損で告訴され、

有罪判決を下されたのだ。

彼は、視察感宛ての書類にこう記している。

「憲兵たちの意のままに

 虫けらのように扱われている

 先住民の姿を見るとき、

 フランス国旗のもとの自由、平等、友愛とは、

 何という皮肉と偽善でしょう」。


1901年9月 ゴーギャンはタヒチを離れ船ダッシュ


さらに東にあるマルケサス諸島のヒヴァ=オア島に移り住む。


彼は家新たに家を建て、


木彫の浮き彫りで装飾した。


5点のうち、頭上に掲げられたものには、


家逸楽の家の文字が記されていた。​


この家は、「野蛮人として生きる」という


彼の信条を形にしたものだったのだろう手書きハート


ゴーギャンは、ここで・・・


​「自分の芸術をある段階まで完成させる」​


ことを目指し、最後の時期を過ごす。


手紙には下向き矢印「2年の間」​という言葉が見られるが、


実際、彼が死を迎えるのは2年後である。


緑ハート​​ゴーギャンの手紙​​緑ハート

「ここにひとりいると、鍛えなおされる。


 ここでは、詩がひとりでに生まれてくる。

 その詩を暗示するためには、

 描きながら、健康で、

 神経質な性格を苦しめる

 金銭の苦労がなければ私は、

 自分の芸術をある段階まで

 完成させることができるだろう。」

 (1901年11月 モンフレー宛)


『女性と白馬』1903年​

油彩 73.3cmx91.7cm

【ヒバ・オワフ島(マルケサス諸島)時代】

ボストン「ボストン美術館」所蔵。


ゴーギャンは、死の1ヶ月前、苦難の日々を振り返って、


「拷問を受けながら微笑んでいる

 インディアンを負けたといえるだろうか」


と、記し、彼の作品が人々を驚かせるのは、


「〈私の中の抑えようのない野蛮人〉

 のために違いない」と述べる。


緑ハート​​​ゴーギャンの手紙緑ハート

​​「私は打ち倒されたが、

 敗れてはいない。

 拷問を受けながら微笑んでいる

 インディアンを負けといえるだろうか

 たしかに野蛮人は、

 私たち文明人より優れている。

 あなたは、私が自分を野蛮人だと

 いうのを正しくないといったが、

 あれは間違っている。

 やっぱり、私が正しいのだ。

 私は、野蛮人だよ。

 文明人たちはそれに気づいている。

 私の作品の中には人を驚かせたり、

 戸惑わせたりするものは何もないはずなのに

 そうなってしまうのは、

〈私の中の抑えようのない野蛮人〉

 のために違いない。だから、

 私の作品は真似できないのだ。

 ひとりの人間の作品には、

 その人間を語っているのだ。」

 (1903年4月 ヒヴァ=オア島 モーリス宛)
 

かつて、妻宛の手紙には・・・


「私の中に、感じやすい人間とインディアン、

 二つの性質があることを思い出してほしい」


と記したような、


「西洋」と「野生」の対立は、何よりも、


彼自身の内に見出させるものだった。


ゴーギャンの芸術は・・・


彼の中に棲むこうした二人の人間の対立が


生み出したものに他ならない。


タヒチでも、ゴーギャン自身は、


「文明化された野蛮人」、つまり世紀末を生きる


西洋の人間であることから逃れることはできない。


だが、彼の中の


「抑えようのない野蛮人」が「野生』を求めさせ、


この対立が彼に人間の根源を問い続けさせるのだ。
ゴーギャンは・・・


​「ひとりの人間の作品は、その人間を語っている」​


とも述べている。


彼が、大作に残した「問い」、すなわち・・・


『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々何処へ行くのか』


という言葉は、ゴーギャンの生そのものでもあっただろう。


(参考資料:東京美術もっと知りたいゴーギャンより)
(写真撮影:ほしのきらり。)

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最終更新日  2021.03.31 00:10:09
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