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カテゴリ:美術館・博物館
アンリ・マティスの姿は、映像に残されていてベッドの上から長い棒で描く姿に驚き感動します南仏ヴァンスの礼拝堂にも行ってみたいですね〜
マティス最晩年の年表 Henri Matisse 『スイミングプール』1952年 切り紙絵(左側部分) 185.4cmx1643.3cm ニューヨーク「近代美術館」MOMA所蔵。 アンリ・マティス Henri Matisse 1869年12月31日〜1954年11月30日(84歳没) ・・・マティスの最晩年の年表・・・ 1948年(79歳)南仏ヴァンスの礼拝堂の装飾に着手。 (〜1951年に完成)。ロンサール「愛の詩華」出版。 1949年(80歳)2月 ニューヨークのピエール・マティス画廊 6月 パリ国立美術館で近作展。 1950年(81歳)ヴェネツィア・ピェンナーレでグランプリ受賞。 マティスがリトグラフで装飾した シャルル・ドルレアン「詩集」出版。 1951年(82歳)ニューヨーク近代美術館で大回顧展。 アルフレッド・バーによる「マティスとその公衆」出版。 日本(東京、大阪、倉敷)で初めての本格的なマティス展開催。 1952年(83歳)ル・カトー=カンブレジのマティス美術館開館。 1953年(84歳)ロンドンのテート・ギャラリーと ニューヨークのカトー・ヴァレンティン画廊で彫刻展。 1954年(84歳)ネルソン・ロックフェラー注文の バラ窓を切り紙絵で作成。 11月3日 ニースで死去。享年84歳。 『海の生き物』1950年 切り紙絵 295.5cmx154cm ワシントン「ナショナル・ギャラリー」所蔵。 切り紙絵の小規模なユニットは、 組み合わされてより大きな作品に展開する。 アトリエの壁には、本作品の上部が制作され、 その下に別の作品となるユニットや独立した作品が貼られている。 画面下に書き込まれた手書きの筆による作品の題名は、 画家の手書きの跡をとどめた線の要素を付け加えている。 1946年〜1948年 マティスは・・・ 油彩画による最後の重要な室内画群を生み出したが、 その後、切り紙絵や 筆などによるデッサンが制作が制作の中心を占めて行く。 1951年『黄色い服のカティア』(個人蔵)で、 マティスは、モデルをもとに描いており、 線と色彩のずれや顔のない頭部、 描き直しの跡や塗りむらをそのまま作品に残している。 マティスの油彩画の特徴を強く帯びているこの作品は、 知られている限り マティスの最後の油彩作品の一つと言えるものである。 1900年〜1906年頃まで、 しばしば用いていた筆と黒などを用いたデッサンは、 その後、1940年代以降 新たに重要性を増す事になる。 それは、1940年代の油彩作品の画中画としても 時折描きこまれる一方で、 この時期次第に重要な表現媒体となって行く 切り紙絵においても希薄となる。 手の跡をとどめた線の要素を補うかのように、 並行して、あるいはともに制作されるようになる。 カトリック教会では・・・ ドミニコ会のマリー=アラン・クチュリエ神父を中心に、 戦前から、作り手の信仰の有無を問うよりも 優れた現代美術を重視して、 宗教美術を活性化させようとする運動が起きていた。 1948年、スイス国境近くの、アッシーの教会装飾に ルオーや、レジェ、ボナール 、シャガール等とともに、 マティスも参加している。 一方、1941年の手術後、 看護婦の代理としてマティスの世話をし、 モデルも務め、のちに修道女となった モニク・ブルジョワを通して、 マティスは、1951年に完成することになる ヴァンスの礼拝堂を建設する改革に取り組むことになる。 礼拝堂の建築と内装を全てを任されたマティスは、 切り紙絵をもとにしたステンドグラスと、 筆のデッサンをもとにした陶板画を中心に内装を制作する。 切り紙絵を通して これまでの油彩画において基本となっていた、 目の前の描く対象との、 見る者と見られる者との関係や それに基づく制作のプロセスは、根本的に変化した。 切り紙絵はさらに、額縁を超え、 壁面をも超えて、建築空間全体に拡張する。 それはマティスの画面空間のあり方を変化させ、 したがってその構成の方法や、 さらには受容者の作品体験のあり方も変化させることになる。 加えて切り紙絵は・・・ 助手による彩色を前提とし、 素材の置き換えや複製を前提としたマケットとしても しばしば用いられることで、これまで以上に デッサンや「装飾」の領域と隣接する。 マティスは・・・ 20世紀におけるモダン・アートの革新者であったと同時に、 西欧近代における油彩画の伝統とその枠組みを もっとも正統に引き継ぎ、 それを実践の中で誰よりも精緻に突き詰めた画家である。 しかし、その結果マティスは・・・ 旧来の絵画のあり方を超えて、 新たな、よりしなやかに私たちと結びつく、 視界を切り開いたとも言えるかもしれない。 ピカソとは、また別のあり方において、 マティスはその死後も・・・ のちの世代の芸術家たちにリスペクトされ続けている。 20世紀のポップアートを代表する 芸術家:アンディー・ウォーホールは、 人生に何を心から望むか、と聞かれ 「マティスになりたい」と答えたという、 マティスが、戦後アメリカの象徴芸術に影響を与えたことは、 しばしば指摘されている。 こうした傾向を代表する画家の一人である フランク・ステラは、 「マティスは、芸術が達しうる 最高峰にまで到達していると思います」 と、あるインタビューで答えたいる。さらに、 1960年代末にフランスで、画家の枠組みを根本的に問い直す 「シュポール、シュルファス(支持体、表面」の運動を展開した クロード・ヴィアラは近年、 マティスには自分が学ぶべきものがいまだに多くあり、 「その作品は、未来においても、 自分に強力に作用し、 時折り不意に現れるだろう」 と語っている。 (参考資料:東京美術もっと知りたいマティスより) (写真撮影:ほしのきらり。) マティスにぽち お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.05.12 00:10:08
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