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ほしのきらり。

ほしのきらり。

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2021.10.09
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ダリの生涯を詳しく書いていたら〜おやおや長くなり過ぎて続きは39歳からとなってしまいましたスマイル

時計​​​​『ダリの生涯と作品』その3​​​​時計

Salvador Dali
​​L'Angelus architectonique de Millet,1933

​『ミレーの建築学的晩鐘』1933年​

​『ミレーによる《晩鐘》の建築学』​​


油彩 カンヴァス 73.0cmx60.0cm

​スペイン「国立ソフィア王妃芸術センター」所蔵。
​​​​​​
サルバドール・ダリ 
​Salvador Dali​

1904年5月11日〜1989年1月23日(84歳没)

​1933年(29歳)​​ロートレアモンの「マルドロールの歌」の

挿絵用にエッチング40点を制作する旨、

アルベルト・スキラと契約する

(ダリはスキラが出版する批評誌「ミノトール」に、

​「ミレーの晩鐘の強迫観念像に関する妄​想症的・批判的解釈」​

 と題する記事を含む数本を寄稿)。


6月、ピエール・コル画廊で『ガラとミレーの晩鐘』を発表。

ジョルジュ・イレーは・・・

この作品について「美術」の中でこう述べている。

「具象絵画に比べ、

 彼は詳細で可食的な逸話や、

 “客観的任意”による夢、

 “行動のオブジェ”などを提起している。

 (・・・)この瞑想症的な作品は、

 幾何学的精神を備えている。

 ダリは、純粋な理想主義に取り付かれ、

 “精神錯乱を起こすような合理的精密さ”

 を伝達する最適な手段の一つとして

 “伝統的純粋性”を意欲的に復活させている」。


11月、ニューヨークのジュリアン・レヴィ画廊で最初の個展。

12月、バルセロナのカタロニア・アート・ギャラリーで個展。


1934年(30歳)​アンデパンダン展

『ウイリアム・テルの謎』『オブジェのカニバリズム』を出品。

ニューヨークのジュリアン・レヴィ画廊で、

ロートレアモンの「マルドロールの歌」の

挿絵用に制作した素描と版画展を開く。


6月中、パリのクアトル・シュマン書店で、

アルベルト・スキラ依頼によるエッチング42点を展示。

ダリはこれらの作品制作に一年以上を費やしている。

6月20日、ジャック・ボンジャン画廊で個展。

ルイ・シャロネは「装飾芸術」の中でこの個展について、

次のように述べている。

「(・・・)ミレー、

 あるいはメソニエの作風を用い、

 ダリの夢のすべてを表している。

 驚くのは、見たところ、

 商売上どうにか成功しているということである」。


10月、バルセロナのカタロニア書店で個展。

アルフレッド・バルはこれを

​「急激に拡がるシュルレアリスムの興奮を掻き立てる」​

と評した。

ピッツバーグのカーネギー研究所の絵画展で、

『風景の中の謎的要素』が表彰される。

ロンドンのズウェマー画廊で、イギリスでの最初の個展。


11月、ガラと共に、シャンブラン号で初めてニューヨークに到着。

11月21日、ジュリアン・レヴィ画廊で個展オープン。

「ザ・サン」は、これを・・・

​「当世風で、非常に議論の的になる、困難な展覧会」​

と評している。


12月、友人への手紙の中に、

ダリはアメリカ到着を次のように書いている。

「劣等感による悩みは別として、

 ここの人々は、

 パリの評論家連中によく見かけるような

 もったいぶって、皮肉たっぷりの思い上がりとは違い、

 大変に好意的な現象に直面させられていることを

 全くわかっていない」。

12月18日、ハートフォードの

ワズワース文芸協会で200人の聴衆を前に公演。

「私と気違いとの唯一の差違は、

 私が気違でないということである」

とここで初めて述べている。

この年の作品は・・・

『リビドーの亡霊』『雨後の隔世遺伝の痕』

『テーブルとして使用可能なフェルメールの亡霊』

『グランドピアノをソドミする大気中の骸骨』など。


1935年(31歳)1月、​ニューヨークの近代美術館で、

「シュルレアリスム絵画と妄想症的像」と題して講演。

この中でダリは・・・

妄想症的・批判的方法について述べている。

「本当のところ、私は

 自動記録装置以外の何ものでもなく、

 判断することも、

 自分の潜在意識・・・私の夢、

 催眠的な像と見方、そして
 フロイトによって発見された​​

 朦朧​​とした感覚世界のこうした

 あらゆる具体的な合理的表現・・・


 を完全に支配することができない。

(・・・)人々は、潜在意識に潜む神秘や謎。

 苦悶の限りない源から喜びを

 見出さなければならない。・・・」。


2月、ガラと共にニューヨークを去る。

これより前、カレス・クロスビィが

二人を祝して開いた仮装舞踏会に出席

(ダリは小さな下穿きとブラジャーを着けた

 ショーウィンドーの人形に扮し、

 ガラは、セルロイドの人形とロブスターのついた

 赤いセロファンのドレスを身にまとった)。


12月、エリュアールの「分けられた夜」の挿絵を描いた後、

パリとニューヨークで「非合理の征服」を出版

(この中でさらに、妄想症的・批判的方法を

「精神錯乱現象の批判的・解釈的関連性を

 基礎とした非合理的認識の自発的な方法」

 と定義づけている)。

ニューヨークで刊行の「アメリカン・ウィークリー」誌、

ニューヨークのシュルレアリスム的印象を表した

ダリの素描を連載。この頃、

トリスタン・ツァラの著書「穀物と屑」の挿絵を描き、

「芸術新聞」とオスカル・ドミンゲスの後援による、

テネリフェ島でのシュルレアリスム展に出品、

スペインにおける

シュルレアリスムの歴史に一つのエピソードを残す。

「カイエ・ダール」誌(7〜10号)に載せた

「ピカソのスリッパ」と題する記事の中で、

初めて妄想症的・批判的方法を文学に応用。

ザッヘル-マゾッホの「サッフォーのスリッパ」をもじり、

ピカソと政治的文化的現代世界を明らかにしている。


1936年(32歳​)5月、C・ラットン画廊での、

シュルレアリスム・オブジェ展に、

カントに捧げる記念碑と催淫的ジャケットを出品、

シュルレアリスムの新しい表現“官僚主義化”を示す。


6月、「ミノトール」誌に寄稿するかたわら、

「カイエン・ダール」誌に、

「オブジェ礼讃」と題する記事などを書き続ける。

エドワード・ジェームス(1938年までの代表作を買った人物)

の詩に挿絵を描く。


12月4日、ニューヨークに着いて1ヶ月後、

「タイム」誌の表紙に顔写真が載る。

12月15日、ジュリアン・レヴィ画廊での二度目の個展オープン。

この後、ニューヨークの近代美術館で開かれた

「空想芸術、ダダとシュルレアリスム」展に出品。

この年に描かれた作品は、『大妄想症患者』

『雲で満たされた頭を持つ男女』

『何も探さない、フィゲラスから来た科学者』

『地質学的正義』『太陽のテーブル』

『茹でたいんげん豆のある柔らかい構造(あるいは、内乱の予感)」

など。

2月の人民戦線の勝利の後、フランコ将軍率いる軍の反乱から

スペイン市民戦争勃発。ロルカ、グラナダで殺害される。


1937年(33歳)​マックス・ブラザーズに興味を持つ。

ハーボの肖像を描き、映画(制作されなかった)のための素描を数点仕上げる。


3月、「私はアラゴンに挑戦する」と題する記事を発表。

この中で、ダリは次のように述べている。

「人間の魂の未知なる領域を体系的に探求する

 真の受験場は“シュルレアリスム”である。

 なぜそれを、

 何か・・・美術史・・・の実験に

 活用しないのか?」。

ジュ・ド・ポームでの美術展(「アンデパンダン国際美術展の起源と発展」)

に出品した後、戦禍を脱がれてイタリアに移る。

エドワード・ジェームスの家に滞在し、

ルネサンスとバロックに関する知識を深める。

のちに、妄想症的な詩「ナルシストの変貌」を発表。

この頃、エルザ・スキャバレリーナと共同で

帽子や生地、洋服などのデザインをする。

この年の代表作は、『ナルシストの変貌』

『夢』『秋のカニバリズム』
など。


(参考資料:美術出版社、サルヴァドール・ダリより)
(写真撮影:ほしのきらり)



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最終更新日  2021.10.09 00:10:08
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