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カテゴリ:美術館・博物館
ダリは1945年、広島原爆投下に影響を受けて「ダリの原子核」時代、神と天と地と空のシリーズが始まります
『ダリの生涯と作品』その5 Salvador Dali La tentation de Saint Antoine,1946 『聖アントニウスの誘惑』1946年 油彩 カンヴァス ベルギー王立美術館「マグリット美術館」所蔵。 ダリは、地上を離れた天体に達しようとしている。 「空」と「地」を介在する 「クモの足を持つ象」を配した空間。 そして「粒子の神秘」の絵画で、 やがて開花する人体浮揚のテーマを使い始めている。 サルバドール・ダリ Salvador Dali 1904年5月11日〜1989年1月23日(84歳没) 1946年(42歳)ウォルト・ディズニーと共に、 漫画映画「運命」(結末は何もなくなる)の構想を練り始める。 シェークスピアの「マクベス」に挿絵を描き、 「ヴォーグ」や「エトセトラ」など、 数種類の雑誌の表紙をデザインする。 絵画『聖アントニーの誘惑』 (聖アントニウスの誘惑)を描く。 1947年(43歳)モンテニューの「随筆集」に挿絵を描く。 クルーヴランド美術館で個展。その後、 ニューヨークのビニュー画廊で画廊。 同じ頃、「ダリ・ニュース」誌10号発行。 1948年(44歳)ポリト・リガトに 定住することを決めヨーロッパに戻る前、 「魔術師的な職人芸に関する50の秘密』、 シェークスピアの「お気に召すまま」、 ベンヴェーヌート・チェリーニの元気な「ヴィータ」 などに挿絵を描く。 11月、ルキノ・ヴィスコンティ製作による「お気に召すまま」の 舞台が上映された折(ダリは舞台装置と衣装を担当)、 ローマのオベリスコ画廊で個展を開く。 この頃ダリは、戦後アヴァン・ギャルドとの接点を捨て、 むしろそれとは正反対の、 西洋文化の伝統的な理論の中に示唆を求めるというように 新しい局面を迎えつつあった。 1949年(45歳)コヴァント・ガーデンで上演された ストラウスの「サロメ」の舞台装置を担当。 作品中に、宗教的特徴が現れ始める。 調和的幾何学的理論に注目し、 ルカ・パチオリの「理想的分割論」を熱心に研究する。 ローマ法王ピウス12世、ダリの作品を見る。 11月、ニューヨークに戻る。ブルトン、 いろんな文中でダリとの不仲を強調し続ける。 例えば、「ブラックユーモア選集」の中で ダリに捧げる項目に付けた第二版の注釈など。 この年、『レダ・アトミカ』を描く。 この作品制作にあたり、ダリは数学者の協力を仰いでいる。 1950年(46歳)1月、妹:アナ・マリアの著書への 返答形式で書かれた「手帳」ニューヨークで出版。 11月、ソリーリヤの「ドン・ホアン・テノリオ」、 マドリッドのマリア・ゲレーロ劇場で上演、 ダリは、舞台装置と衣装を担当する。 『ポルト・リガロの聖母』ニューヨークの カーステアーズ画廊に展示される。 モーリス・サンドスの「境界』の挿絵を描く。 この年は宗教的、神話的色彩の濃い作品を 多数描いている。『ポルト・リガロの風景』 『海の陰で眠っている犬を見るため水の皮を持ち上げている、 当時、自分を女の子と思っていた六歳のダリ』など。 1951年(47歳)4月、「神秘主義宣言」を出版。 6月、パリのA・ヴェイル画廊で個展。 9月、ヴェニスのラヴィア宮で開かれた、 カルロス・デ・ベイステーギ主催の舞踏会に、 ガラと共に7メートルの巨人の仮装をして出席。 クリスチャン・デオールも同じ格好で臨む。 12月、ニューヨークに到着。この年の作品は、 『十字架の聖ヨハネのキリスト』 『炸裂するラファエロ的頭部』など。 1952年(48歳)全米七都市で、 原子核の神秘性に関する要素をテーマの公演。 この時、将来、 「聖母マリア昇天」を原子技芸で表すと発表する。 5月、「真正と虚偽」と題する記事の中で、 反“社会主義的現実主義”を荒々しく宣言。 カーステアーズ画廊で「瑠璃色の原子核昇天」を発表。 この年は主に、“神秘的原子技芸術”と、 ダンテの作品の挿絵用に描いた水彩による 連作『神曲』102点の制作に没頭する。 他に、『原子核の十字架』『球体のガラティア』など。 (参考資料:美術出版社、サルヴァドール・ダリより) (写真撮影:ほしのきらり) ダリにぽち お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.10.11 00:10:10
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