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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

カテゴリ

2022.07.11
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カテゴリ:美術館・博物館
ルーヴル美術館に入館するとまずは、この方にご挨拶したいですよね〜モナ・リザ「モナリザ」ジョコンダ、ジョコンドさんとは何者なのでしょうか?


作者は・・・レオナルド

レオナルド・ダ・ヴィンチ
​Leonardo da Vinci​

1452年4月15日〜1519年5月2日(67歳没)

フィレンツェ共和国ヴィンチ村〜フランス王国アンボワーズ

レオナルドの功績は、鏡文字・音楽・建築・料理・美学

数学・幾何学・生理学・組織学・解剖学・美術解剖学

人体解剖学・動物解剖学・植物解剖学・博物学・動物学

植物学・鉱物学・天文学・気象学・地質学・地理学・物理学

科学・工学・流体力学・水理学・空気力学・飛行力学

飛行機の安定・航空力学・航空工学・自動車工学・材料工学

土木工学・軍事工学・潜水服などの分野に顕著な業績を残す。

【代表作】

『モナ・リザ』『最後の晩餐』『ウィトルウィウス的人体図』


レオナルド・ダ・ヴィンチ
​​Leonardo da Vinci​​
Vinci,1452-Amboise,1519

​​La Gioconda(La Joconde)

『モナ・リザ』(ラ・ジョコンダ​​)​


1503年〜1507年(その後も手を加え続けたか?)

ポプラ板に描かれた 油彩

77.0cmx53.0cm

パリ「ルーヴル美術館」所蔵。


​​​​リザ・デル・ジョコンド・・・とは何者か?​​​​

近年の研究で、

この謎めいた人物の生涯は、

かなり明らかにされている。


なかでも、

ハトフィールド、

スカイエレーズ、

パッランティ、

モーエンらによる文献が

最新かつ詳細な情報を提供している。


​リザ・ゲラルディーニの生涯

1479年6月15日、​フィレンツェで生まれた。

35歳だった父:アントンマリーア・ゲラルディーニは、

キャンティ地方に所有地をもち、

ワインの生産農家を経営していたが、

前年にパッツイの乱が起きたあおりで、

ナポレオン軍が、

キャンティ地方を荒らしており、

決して経済状態は良くなかった。


同家には・・・

リザの4歳下に

長男:ジョヴァルグアベルト、

その下に次男:フランチェスコ、

さらにその下に二女:ジネヴラを得た。


ジネヴラは、

ジョヴァンフランチェスコ・ベンチに嫁いぎ、

夫を早くに亡くして後は姉のもとに身を寄せている。

『ジネヴラ・デ・ベンチ』のモデルは、

別人のベンチ家の娘ジネヴラで、

ルイジ・ニッコリーニに嫁いでいる。


一方、リザの夫となる

フランチェスコ・デル・ジョコンドは、

1465年3月19日、​フィレンツェで、

繊維業を営む父:バルトロメオの子として生まれた。


リザより・・・14歳年上で、

レオナルドより、13歳年下にあたる。

繊維業は、

フィレンツェ経済を支えた主幹産業であり、

欧州を席巻したフィレンツェ銀行業も、

繊維業で豊かになった市経済によって支えられていた。


その大アルテの構成員として、

同家は共和国の政治にも関心を示し、

一族から何人かのプリオーレ(行政官)を出している。


フランチェスコは、

レオナルドの父:セル・ピエロと同様に、

成功した層の常として、

名家から若い妻を娶る。


最初の妻となった

カミッラ・ルチェッライはしかし、

一子バルトルメテオ(祖父と同じ名)を産んだあと、

二度目の出産時の産褥熱によって、

わずか18歳の若さで世を去る。


伴侶を亡くしたフランチェスコは、

8ヶ月後には、すぐ次の妻を迎える。

こうして彼の二番目の妻となったのが

​​​リザ・ゲラルディーニ​​​である。


婚姻書類は、

1495年3月6日​に作成された。

夫は、​30歳​になる直前で、

新妻は、まだ​15歳​の若さである。

この時、

フランチェスコは婚資の一部として、

キャンティ地方の農地を手に入れている。


ふたりの間には・・・

翌1496年に男児:ピエロが、

1499年に女児:カミッラが生まれている。

後に、

先妻との子:バルトロメオが家業を継ぎ、

1561年に亡くなっている。

ピエロは、1569年まで生き、

カミッラは、後に

200フィオリーニの資金付きで修道院に入っている。


リザには・・・

ピエロとカミッラの下に、

1502年にアンドレア、

1507年にジヨコンド、

そして生年不明の女児を産み、

5人の実母となった。


くどくどと青年を書き連ねているのは、

女性の肖像画を描くきっかけに、

しばしば婚姻時と出産時があるからだ。


ヴェスプッチのメモに記された年と見比べて、

該当しそうなのは、

1502年12月12日の次男誕生ぐらいか。


ただ、1503年3月には、

フランチェスコが子らに

財産を生前贈与する書類を作成している。


まだ40歳だが、

あらかじめ将来の財産相続を

決めておくのはよくあることで、

生涯のひとつの区切りとなるイヴェントではあった。


ともあれ、

1503年にリザは24歳前後であることを、

昨日ブログの[A]に足しておこう。


[A’]レオナルドは、

1503年10月に

24歳のリザ夫人を描いている


(ただし現作品とは限らない)。

制作動機は、次男誕生や生前贈与か。


ちなみにフランチェスコは、

1508年に亡くなり、

リザについては、

その翌年の相続文書に載ったのを最後に

消息が途絶えているしょんぼり


(写真撮影:ほしのきらり)
(参考文献:筑摩書房/池上英洋、レオナルド・ダ・ヴィンチ生涯と芸術のすべてより)


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最終更新日  2022.07.11 00:10:09
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