7500178 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

「きらりの旅日記」

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

カレンダー

プロフィール

ほしのきらり。

ほしのきらり。

カテゴリ

2022.07.12
XML
カテゴリ:美術館・博物館
モナ・リザの絵をレオナルド・ダ・ヴィンチから直接に説明を受けた人からの証言をもとに謎の考察をしてみましょうスマイル

レオナルド・ダ・ヴィンチ
​​Leonardo da Vinci​​
Vinci,1452-Amboise,1519

La Gioconda(La Joconde)

『モナ・リザ』(ラ・ジョコンダ​​)​


1503年〜1507年(その後も手を加え続けたか?)

ポプラ板に描かれた 油彩

77.0cmx53.0cm

パリ「ルーヴル美術館」所蔵。


1517年10月10日​

アントニオ・デ・ベアティスが、

クルー城館にレオナルドを訪ねた際の記録である。


ルイージ・ダラゴーナ枢機卿に秘書として同行した

デ・ベアティスは、

レオナルドの工房で3点の作品を目にしている。

それらは、

『若い洗礼者ヨハネ』

『聖アンナの膝に座った聖母子』


そして、

当時はこう呼ばれたと思われる謎の絵画

『故ジュリアーノ・デ・メディチの注文による、

 等身大のフィレンツェ婦人』


(dona firentina facta di naturale  ad istantia

 del quondam mag.co Juliano de Medici)

である。



現在ルーヴル美術館におさめられている三作品を

デ・ベアティスは見たことになるが、

彼はレオナルドの工房で、

本人から直接説明を受けており、

その記述には、

ある程度信頼を置くことができる。


ジュリアーノ・デ・メディチは、

ロレンツォ・ルイ・マニフィコと

妻:クラリーチェ・オルシーニの三男で、

かつてレオナルドが、

ローマに呼ばれた時のパトロンであり、

彼の早逝をうけてレオナルドは、

フランス王の招きに応じて異国に来ていた。


よって、

デ・ベアティスの言葉をそのまま信じれば、

以下の通りとなる。


[C]1517年、

フランスのレオナルドの工房に、

ジュリアーノ・デ・メディチの注文による

フィレンツェ婦人の肖像画がある。


この情報を、

昨日ブログで述べた[A&B]と合わせれば、

以下の通りになる(「A’]は現作品とは限らないので、

[A]を現作品とする時には用いない)。


[A&B&C]=[D]レオナルドは、

1503年〜1505年頃にフィレンツェで

リザ夫人をモデルに現作品を描いており、

注文主は、

ジュリアーノ・デ・メディチである。


この組み合わせで奇妙なことは、

リザが、フィレンツェ商人

フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻であり、

ジュリアーノ・デ・メディチの愛人などではない点である。


また当該の製作時期に、

ジュリアーノ・デ・メディチは、

他のメディチ一党と同じく、

1494年から1512年まで、

フィレンツェから追放状態にあった。


つまりこの組み合わせは、

ほとんど不可能に思えるが、

リザとジュリアーノが遠い親戚関係になることから、

ニコルは、ジュリアーノが

15歳で追放される前にリザに淡い恋心を抱き、

長じて彼女の肖像を頼んだという

ロマンティックな可能性を提起している。


両者は、

ジュリアーノの叔母が嫁いだ夫の姪が、

リザの父:アントンマリーアの後妻という関係にある。


フィレンツエのような中規模の都市の富裕層は、

限られた数の家系同士が、

なにかしらこうした縁戚関係で結ばれており、


ニコルが想像するように

お互いが知り合っていたとしても不思議ではない。


ともあれ、

[A&B&C]の可能性を残したままで、

これ以上の選択肢を以下のようにケース別に考えてみよう。


[A&B/C]=[E]現作品は、

1503年〜1505年頃に

リザ夫人をモデルに描いたもの。

1517年にフランスの

レオナルド工房にあるのは別作品で、

ジュリアーノ・デ・メディチの注文によって

フィレンツェ婦人を描いたもの。


[A’/B&C]=[F]現作品は、

1504年〜1505年頃に

フィレンツェで

フィレンツェ婦人を描いたもので、

ジュリアーノ・デ・メディチの注文による。

1503年10月に24歳のリザ夫人を

描いたのは別作品。


[A&C/B]=[G]現作品は、

1504年〜1505年頃に

フィレンツェで描かれていたもので、

モデルは不明。

1503年10月に24歳の

リザ夫人を描いた別作品は、

ジュリアーノ・デ・メディチの注文によるもので、

1517年にフランスの

レオナルドの工房にある。


[A’/B/C]=[H]現作品は、

1504年〜1505年頃に、

フィレンツェで描かれたモデル不明の絵。

1503年10月に24歳の

リザ夫人を描いた別作品がある。

さらにそれらとは別に

第三作があり、

ジュリアーノ・デ・メディチの注文による

フィレンツェ婦人の絵で、

1517年にフランスのレオナルド工房にある。


このうち[H]のケースでは、

現作品のほかに二枚も別の作品があることになり、

レオナルドの制作量からは想定しにくいので、

以下の考察からは外す。

また、ジュリアーノがリザ夫人の肖像画を依頼する

[D]と[G]は、

前述のとおり可能性が低く、いわば

「ニコル・モデル」が正しい場合のみ起こりうると言える。


(写真撮影:ほしのきらり)
(参考文献:筑摩書房/池上英洋、レオナルド・ダ・ヴィンチ生涯と芸術のすべてより)


​​リザ夫人にグッドぽち右矢印にほんブログ村 旅行ブログ 世界遺産へ​​​​​​​​​









お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022.07.12 00:10:09
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.