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テーマ:三国志(542)
カテゴリ:三国志めぐり
さて……
いつの頃だったでしょうか。 おととしかな。 調べ物をしていたときに、たまたま「昭化がリニューアルした」というニュースを見つけました。 たいそうなホームページも出来て、昭化の歌まで出来ていました。 それで、いつか行かねば行かねばと思っていて、ずっと行ってなかった新・昭化古城。 だいぶ前になりますが、今年の正月に行ってきました。 まず広元からバスに乗って行ったのですが、切符を購入するときに「昭化まで」と言ったら「新昭化かそれとも老昭化か」と言われました。どちらか分からなくて「昭化古城だよ」と言うと「お、老昭化か」とのこと。 昭化古城がリニューアルされたので”新昭化”になったのかと思いきや。 では、新昭化はどこかと言うと、老昭化いわゆる昭化古城から10kmほど離れた宝輪だそうです。 何回も来てるからか。 バスに乗っても街を歩いてても、誰かしらに「あれ、日本人じゃない?また来たのね」といわれたりしました。 毎回感じるのだけど、ここの人は、接しててとても嫌気を感じない。 何も変わることなく、自然に接することができる。こんな印象を与えてくれる昭化の人たち。 昭化の街がリニューアルされて、城壁の上に楼が出来て、いろんなところが門票制になっても、古めかしい雰囲気が薄れても、昭化の人は変わっていなかった。 今回は、写真で昭化の紹介をします。 まずは、昭化の玄関だった城壁。 今では、バスの着く駐車場が正面入り口になっていて、ここは中にある広場みたいな感じになっています。 付近にあった店や家は跡形もなく壊されて、新しい店が並んでいました。 お次は費イ墓。 道端に建てられてて、周りが草だらけになっており、墓石が確認できても後に土盛りがあることが分からなかった。いつか、何かの拍子に農民が耕してしまうんじゃないかと心配してたけど、今ではきちんと廟の中にしっかりと保護されています。 牛頭山へ登るのも、チケットが必要になっているそうです。標識も出来ました。 城壁のある広場に大きな石に”戦勝ハ”と書かれていたので、この写真のものがなくなったと思ったのですが、まだ残っていました。 まだ倒れたまま。 昭化の街中です。 地元民も「変得不古老(古っぽくなくなった)」と言ってました。 こんな感じです。 その他写真は、MSNスペースにいろいろ貼ってます。 http://sichuandaoyou.spaces.live.com/ 09年の1月「昭化古城・明月峡」を見てみてください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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